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きのこる先生/エッセイ

   昭和生まれの私でも今の時代に、例えば大学生だったら何をしてただろう?なんて考えることがある。そして、ほどなくして導かれる答えはいつも "無理!" である。

   年寄りが昔話をするときほど退屈な時間はない。重々承知の助である。しかし、何が "無理" なのか説明せねばなるまい。端的に言えば「昔に比べ圧倒的に情報と物に溢れていて生き残れそうにない。」のである。

   私の中高、そして大学生の時代、『情報』の取得先は殆どがTVからだった。その他は雑誌・書籍の類いで、あとは人によっては新聞、ラジオからだった。それは一方通行で画一的だった。何か知りたければ人に聞くか、本屋や図書館に行って調べれなければいけなかった。『物』もそうだ。当時から通販はあったが今ほど一般的ではなかったし、種類も限られていた。ほとんどの『物』は店に買いに行くのが普通だった。

 あの時代、仕入れた情報はいつまた必要になるかもしれないから必死に記憶した。欲しいものは探して買いに行く時間を惜しまなかった。一方通行の情報はみんなの価値観が揃い、引かれた人生のレールの種類は多くはなかった。だから幸せになるためにやるべき事は決まっていた。そして、やれば結果はついてきた。それは良くも悪くも選択肢の少ない生き方だった。

   今現在、自分の子供の将来に何かアドバイス的なことでもと言葉を考えると、自分の経験がことごとく意味をなさないことに気付く。『情報』と『物』に溢れる今は生き方の選択肢が大きく広がった。いつでも気軽に手に入る知識は必ずしも武器とはならず、学歴は十分条件ではなくなった。こんな大海原に一人ポツンと放り出されても、どうやって生きて行けばいいか、何が正解かわからない。とりあえずと頼みの学問も今の時代誘惑が多すぎて勉強なんて手に付かない。(昔は携帯ゲームなんてなかった。)

 けれどこんなことを思いながらでも、親として子供に何か言わなくてはいけない。取りあえず、
「まだやりたいことが見つからないなら、とりあえず良い大学にでも入るために勉強くらいしたら?」
などとアドバイスするのが関の山で、
(「まぁ良い大学出たからといって稼げるとは限らんけどね。」)
との続くセリフはそっと仕舞う。

息子よ。強く生きろ。私だったらとうに詰んでいる。

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