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【掌編小説】 岡寺|御朱印GIRLS vol.11

 一時間に一本のバスに乗ってやって来たのは、昔ながらの町並みだった。
 目的地までの坂を、息を切らせて歩く。

「長い!」
「辛い!」

 長旅にはしゃいでいた元気は消え失せ、今や数分おきに愚痴る始末。途中にあった岡本寺に参拝した神聖な気持ちも、今はもうない。
 正月の親戚の集まりで、自分が厄年であることを知った。そしてよくないことが起こると、脅された。私は信じなかったけど、同じ年の従姉妹・静枝は身を振るわせて怯え、私にしがみついてきた。
 だから今、私たちは叔母に教わった「奈良で厄除けと言えばここ!」と言われた岡寺に向かっている。
 まさかこんな長い坂道を登るはめになるとは、思ってもいなかった。
 坂の行き止まりが見えて、顔を見合わせる。
 そろそろか!? 
 と、二人して、声にならない声をあげた。
 坂が終わる直前、見知らぬおじちゃんを追い越した。お辞儀をすると、おじちゃんは笑って返してくれた。

「しんどいな。もう少しや、頑張りや」

 おじちゃんの気遣いに、足元からなにかが沸き立つのを感じた。火照った頬を持ち上げて笑顔で頷くと、なんだか足が軽くなった気がした。
 入山料を納め、仁王門を潜る。
 まだまだ道が続いていることに、ため息を吐きそうになったが、おじちゃんの笑顔を思いだすと、グッと堪えることができた。
 手水舎で手を清め、周囲を見渡す。
 見える景色が変わった。上へ向かう道は、さっきまでの途方もない坂道とは違い、どこか遠く良いところへ連れていってくれるような気がした。
 鍾楼堂が目に入って、曲がれば、お寺の風景が広がる。

「なんか色々ある」
「いや、ひとまず休むところ」

 冬だというのに汗を滑らせ、静枝は真っ直ぐ立つこともままならない様子だ。数歩進んで、本堂の前に立っても、座るところは見つけられない。
 私に連れそうように、静枝は参拝する。
 連れは私だったはずなのに。いつの間にか立場が逆転していたようだ。

「祈祷の受付だけ済ませる?」
「だね」

 静枝の様子を窺いながら、問いかける。返事が短い。どうやら、限界が近いらしい。
 授与品の群れを過ぎて、窓口まで進む。

「厄除け祈祷の受付って、ここで大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。お二人ですか?」
「はい」
「では、こちらにご記入をお願いします」

 渡された紙を一枚、静枝に差し出す。静枝は紙を受けとる気力もないようで、キョトンとした目で紙とにらめっこをしていた。

「私が書いて良い?」
「お願いします」

 静枝は膝に手を当てるようにお辞儀して、今度は授与品とにらめっこを始めた。その姿が、なんだか笑えた。
 凍えた手でペンを持つ。自分の分を書き終わると、スマホを取り出して間違えないよう確認しながら、静枝の分を書き上げた。
 お寺の人に渡すと、丁度五分後に祈祷が始まるとのことだった。小さな箱とお札を受け取って、静枝の元に行く。静枝は少し離れたところで、干支みくじを眺めていた。

「中で待っててくださいって」
「中?」
「本堂の中。五分後に始まるんだって。丁度良いタイミングで来れたみたい」

 まるでおばあちゃんの歩みになった静枝の背中を押しながら、本堂に上がる。
 本堂には沢山の座布団が並べられていた。三十人は座れそうだ。どこに座るべきかと悩んでいたら、静枝が目の前の座布団に腰を下ろした。これはこれで入り口に近すぎて、困る。

「静枝、ここは寒いよ。真ん中だと電気カーペットひいてあるから暖かいんだって」
「そっち座る」

 四つん這いになって如意輪観音座像の前に進む静枝を目に、お寺の人がいなくて良かったと思った。無礼だと怒鳴られてもおかしくない光景だ。
 赤い座布団に座って、静枝はなごむ。お茶を一口飲んで落ち着くおばあちゃんみたいだ。まだ十代だというのに、さっきから静枝がおばあちゃんに見えて仕方がない。
 目頭をおさえ、頭を降って、おばあちゃんフィルターを外す。
 静枝の横に座って、コートを脱ぐ。締め切っているとはいえ、ちょっと肌寒い。でも防寒具は失礼に当たると、マフラーを鞄にしまった。

「そういえば、こんなのもらったよ」
「何?」
「さあ。開けてみる?」

 私は先程受け取ったお札と小さな箱を静枝に渡した。開けてみると、落雁が二つ、入っていた。

「お盆の時によく見るやつだね」
「おばあちゃんのお菓子だ」

 静枝の言葉に、またおばあちゃんフィルターが掛かりそうになって、首を振る。

「どうしたの?」
「なんでもない」

 座れたことで徐々に活力を取り戻したらしい静枝は、キョロキョロと辺りを伺い始めた。

「二人だけ?」
「みたい」

 人の気配がしない本堂に、まるで静けさの中に置いていかれた気分になりながら、私たちはジッと待った。
 お坊さんが入ってくる。お辞儀をして、祈祷が始まった。
 深く息を吸って、ゆっくりと息を吐きだす。目を閉じて、お経を体に染み込ませるつもりで、お坊さんの声に耳を傾ける。お坊さんに言われてお札を壁に貼る。祈祷は終了した。
 外に出ると、寒さに震えた。忘れていたマフラーを取り出して、首に頑丈に巻きつける。

「あ」

 静枝の声に振り返る。
 そこには祈祷の申し込みをしている、女子三人組が居た。その後ろに、何も持たずに待っているお兄さんが居る。多分、祈祷の申し込みだ。

「もしかして、すごく良いタイミングだった?」
「みたい」

 見すぎて目があってしまった女子三人組にお辞儀をする。なぜか居たたまれなくなって、そっと遠ざかった。
 三人が受付を済ませて去り、お兄さんが受付に向かったのを見届ける。

「ちょっとお守り見に行って良い?」
「私も見たいよ」

 そそくさと来た道を戻る。
 授与品は所狭しと並んでいた。西国三十三ヶ所巡礼の御朱印帳まである。真っ赤な表紙にいつか必ずと誓って、じっと止まったままの静枝に歩みよる。

「見て! 竜!」

 目をキラキラとさせて、静枝は丸い竜のお守りを指した。

「好きだよね、竜。昔から」
「かわいいじゃん!」
「置物じゃなくて、お守りだからね?」
「わかってるよ」

 静枝は群れの中から一匹の竜を掬いあげると、両手で包み込むように持って、受付へ向かった。私は職場のお土産に、厄よけせんべいを持って静枝の後ろに並ぶ。

「角や尻尾がおれやすくなってるので、気を付けてお持ち帰りください」
「はいっ」

 静枝の弾む返事が、響く。静枝は横にずれて、さっそく竜を取り出した。眺めるその姿は、まるでパフェを前にはしゃぐ小学生のようだ。おばあちゃんが、若返った。思わず、吹き出しそうになる。
 笑いを堪えていると、お寺の人と目があった。咳払いで、その場を取り繕う。

「御朱印もお願いします」

 受付の人に厄よけせんべいと御朱印帳を渡して、お辞儀する。横で静枝が「私も!」と声をあげた。
 静枝が御朱印帳を受けとると、私たちは今一度本堂に手を合わせて、踵を返す。
 鍾楼堂からお兄さんが出てきて、思わず足をとめた。
 目的は達したが、岡寺を満喫したかと言うと、そうではない。如意輪観音座像は確かに素晴らしく、本堂の空気は満喫なんて言葉が失礼だと思うほど、厳かだった。静枝が空気を壊していたのは、否めないが。
 でもやっぱり、それだけじゃ勿体ない。

「みて回る?」
「へ?」

 両手で竜のお守りを抱える静枝は、とても間抜けな顔を向ける。
 鍾楼堂を指して「色々」と付け加えると、静枝は姿勢を正した。手の上の竜は、依然、静枝を見上げている。

「他、どこ行くんだっけ?」
「橿原神宮と、大神神社」

 質問に答えると、静枝はおもむろにスマホを取りだした。そして画面を私に見せて、時間を知らせる。

「じっくり見れないね」
「今度! お礼参りに来たときに見よう!」
「そうだね」

 私は少しでも楽しもうと、辺りを伺いながら進む。
 仁王門にいるお寺の人に挨拶をする。終わりの見えない下り坂に、二人して空笑いを浮かべた。

「上り坂より、断然マシです」
「張り切って行きましょう」

 なんとか気持ちを奮い立たせて、一歩を踏み出しす。
 数歩歩いたところで、静枝がまた声をあげた。私は我慢したのに。来るときにおじちゃんとすれ違った辺りで、また人とすれ違う。
 息切れ切れに自転車を押して登ってくる外国人のお姉さんは、頬を薄紅色に染めながら実に楽しそうだ。

「こんにちは」

 挨拶をすると、外国人のお姉さんは恥ずかしそうにお辞儀で返してくれた。
 下り坂の勢いにつられて走ったり、歩いたりして、なんとか坂を下りきる。バス停で時刻表を確認して、二人してげんなりした。

「三十分あるね」
「確認するの忘れてたね」

 ただ待つことが億劫に思えた。こんなことなら、少しでも良いから、お寺を堪能すれば良かった。

「歩きますかー」

 静枝の言葉に、頷く。とりあえずトイレを探して、途方もなく歩き回った。
 そしてまた、後悔した。
 三十分では満喫できないほどの博物館やカフェを見つけたのだ。一つを見つける度に時間がないと諦め、詰め込みすぎた予定を悔やんだ。
 だから、次はもっとゆっくりできる予定でこようと、約束した。


御朱印GIRLS 第十一番所


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