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【超短編小説】 どうしても思い出すのは


 目の前のカップルが手を繋いで、肩を抱いた。

「あんな恥ずかしいこと、俺にはできないよ」

 そう言って、あなたは苦笑する。私は少し残念に思いながら、そうだねと言った。
 いつのことだったかは覚えてない。
 いつからすれ違いだしたのかも分からない。
 人前で手を繋ぐことすら恥ずかしいと言うあなたに、私は苦笑するだけだった。
 人前で手を繋ぐことが、どれだけの意味をもったのかは分からない。どれだけ重要なことなのかも、分からない。だからって、どうしても手を繋ぎたかったわけじゃなかった。
 だけどあの時も今も、目の前のカップルを羨ましいと思う。
 あの時とは少し違うけど。

「恭介の手、ほんとあったかいよね。子供みたい」
「あのな、年下だからってその例えはないだろ」
「じゃあ、なんて言えばいいの?」
「心があったかいんだねとか、あるだろ」
「それ逆でしょ?手が暖かいのは心が冷たい証拠でしょ?」

 カップルの可愛い会話を聞きながら、ふと隣を見る。
 今、あなたが隣にいない理由はなんだろう。
 私たちはふったふられたの話じゃなかった。
 カップルは見つめ合い、笑いながら、改札を抜ける。駅を出る階段を手を繋いで下りて、そのままコンビニに入っていった。
 脳裏を過ったのは、ビールを買って出てくる、あなたの姿。

「ほんと、羨ましいなぁ」

 呟きは、夜空に押し潰された。
 どうしても思い出すのは、まだ、あなたのこと。


第5話


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