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やっちゃば一代記 実録(12)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 銀座と築地
京橋大根河岸での奉公は一年足らずだが、河岸の前に広がる銀座の往来、喧騒、ファッション、食べ物、映画、カフェーなど、バタ臭くてハイカラな風景は十七歳の健二を幻惑し魅了した。夕暮れ時の銀座通りには、両脇にワイシャツ、ネクタイ、ベルト、帽子、婦人服、靴、時計、万年筆、宝飾品などの夜店が軒を連ねた。街角には絶えず流行歌が流れていた。健二はその頃流行っていた「かんかん虫の唄」を口ずさみながら夜店ひやかして歩き、香具師の巧みな語り口に聞きほれた。
 ネオンがまぶしい銀座会館、グランド銀座、クロネコの三大カフェバーには、毎晩ほろ酔いの男女が縺れるような足取りで出入りし、一晩で五千円、六千円という大金が消費されるという話に健二はため息が出た。カフェバーは昭和八年師走、まず銀座会館から出火、両隣のグランド銀座とクロネコにも燃え広がり、酒池肉林の不夜城はまたたくまに赤い炎に包まれた。銀座通りは殺気立ち、やじ馬が群れ集まった。炎はカフェバーの窓から蛇の舌のように噴き出し、外壁、ネオン、看板を嘗め尽くしていく。小学一年生の始業式に見た恐ろしい震災の光景が健二の脳裏をよぎった。
 河岸に働く若い衆は、仕事を終えた昼下がり、手ぬぐいを肩に下駄音をからころと銀座通りを新橋方面に向かう。銭湯に行くのだが、河岸の近くのそれでなく、わざわざ通りの反対にある七丁目の大黒湯を贔屓にした。番台の若い女が妙に色っぽいと評判だった。もっとも女の非番、早番、遅番の知る由もなかった健二は、番台の女が言われるほどいい女かどうかは分からずじまいだった。  健二にもガールフレンドができた。ミルクホールで働いていて、目端が利き気立てが良かった。仕事の帰りにお汁粉を食べに行くうち言葉を交わすようになり、一緒に銀座をぶらぶらしては旨そうなものを食べ歩いたものだが、月一度の休みに加えて、二十円の月給ではそうそう贅沢はできなかった。

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