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やっちゃば一代記 思い出(1)

大木健二の洋菜ものがたり
 野菜生産の変革期
終戦直後の進駐軍上陸は、日本の野菜つくりにも一大変革をもたらしました納入先の座間基地で、たまたま女性将校の食事に出されたレタスからミミズが這い出し、机を叩いて怒った将校から「出入り禁止」の最後通牒をもらったことがあります。当時の日本は有機栽培が普通で、畑に虫はつきものでした。運悪く、獲り入れ前に降った雨を避けようとしたミミズがレタスの中に逃げ込んだらしいのです。必死になって虫のついていない”洗浄野菜”はないものかと、千葉県をはじめに、あちこち探し回ったものですが、この占領を境に、日本農業は農薬と化学肥料が幅を利かす時代へと大きく変わっていきます。また当時の東京は進駐軍向け西洋野菜の一大産地でしたが、朝鮮戦争が勃発、半島に近い九州の福岡や阿蘇地方で軍需野菜の栽培が始まると、そのお株を奪われてしまいます。駐留軍は栽培法、品種・産地交配など日本の野菜生産にとって大きな転機となったのです。
 

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