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やっちゃば一代記 思い出(8)

大木健二の洋菜ものがたり
 びっくり がっかりの輸入解禁
パプリカ
 一ドル三百六十円の固定為替になる以前に訪れたパリのランジス市場で,
一目ぼれして以来ずっと、「いつか日本で作り、売ってみたい!。」と想いを募らせていたのが〔パプリカ〕です。
 そこで昭和五十七年三月十九日、黄と緑の種子をオランダから初輸入。
種代は黄が百グラム二十七万九千七百八十円、緑が七万九千七百二十九円と目茶苦茶に高い値段でした。早速、茨城県は波崎の生産者に栽培してもらったところ、すぐに宮崎、高知へと普及。普通のピーマンとは食味、歯ごたえが異なるため、独自のマーケットが形成されようとしていました。
ところが、1993年、オランダ産ピーマンそのものが輸入解禁されると聞かされるや、心臓が止まるほどビックリすると同時に、怒りが込み上げてきました。産地が一人前になろうとしていた矢先でですから、もうがっかりです。
日本政府は国内農家を潰す気かと歯噛みしたものの後の祭り。いまや国内産は跡形もなくなりましたね。
 それにしてもジャンボピーマンの消費拡大ぶりは驚きです。イタリア料理の普及とも関係しているのだと思います。
 イタリア料理にはピーマンが多く利用され、またスーパーが大々的に販売したことで一般家庭の利用が増えました。スティック状にカットしてチーズといっしょにしたり、ムースにしたりすると、かなりいける味ですよね。
 このように用途が広く、食味も優れている野菜ですから、その国産化は大いに有望だったのです。だから、輸入解禁で国内産地をダメにした国のやり方には納得できなかったのでした。
 

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