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古典リメイク『レッド・レンズマン』3章-5 4章 5章

3章-5 キム

「グレー・レンズマンが推薦なさるくらいだから、とびきり優秀な方なのね。引き受けて差し上げてもいいけれど……」

 彼女はそこで言葉を切り、レンズマンを見上げた。きらめく瞳、唇の端を上げた微笑み。

「わたしと一曲、踊っていただける?」

「もちろん」

 と先輩は軽く答えたが、その瞬間のデッサの表情から、ぼくにはわかった。

 この女性は、先輩のことを痛烈に意識している。敵としてであれ、異性としてであれ……先輩とダンスを踊ることが、この美女にとっては、スパイを受け入れるという代償を払ってもいいくらい、大事なことなのだ。

 メイン食堂に続く大広間では、楽団が音楽を演奏していて、ダンスを楽しむ人々が集まっていた。似合いの二人はその中に混じり、華麗な動きを見せて、あたりの船客から賛嘆の声を上げさせる。

「いやはや、目の保養ですな」

「夢のような組み合わせですこと」

「明日の社交ニュースのトップは、これで決まりだな」

 屈強な長身のレンズマンと、長い髪の艶麗な美女。トパーズ色の目と、アクアマリン色の目が、互いの姿を映す。まさに、絵のような組み合わせだ。内心では、相手を、共存不可能な敵と思っていても。

 長いようで短い曲が終わると、デッサは先輩の腕から離れ、皮肉な笑みで言った。

「いいでしょう、あの坊やは、うちで働いていただくわ……きっと、優秀な社員になってくれるでしょう。でも、あなたは時々、様子を見に来て下さるのよね?」

 そうか、この美女は、ぼくを通して、少しでも先輩とつながりを持ちたいのだ。敵だとわかっていても……いや、だからこそ……

「さあ、それはわかりませんね。ぼくは色々、忙しいので」

 うわっ、先輩は非情だ。

「憎らしい方ね」

 デッサは仕方なしに微笑んでいたが、その目には冷たい炎が見えた。自分のものにならないなら、いっそ殺してやりたい、というのが本音ではないだろうか。

「とにかく、キムのことはありがとう。安心しました。では、ぼくはこれで」

 ぼくなんかには、別れの言葉すらない。ただ、軽い一瞥を投げられただけだ。はい、わかっていますとも。

「まあ、もう? せめて、お食事でもご一緒に……」

 デッサも、そんな願いは無理だとわかっているが、周囲の視線があるから、社交辞令は口にしなければならない。

「そうしたいのですが、無粋なパトロール艦が待っていましてね。まだ、仕事が残っているんです」

 先輩は軽く手を振り、人々の賛嘆に見送られて消え去った。ぼくは竜巻に運ばれてきて、敵地に置き去りという感じだ。

 デッサは苦笑して、ぼくに向き直った。先輩に向かっていた時の、炎が燃え上がるような情念の放射は薄れて、熾火くらいになっている。

「ああいう人よね。わたしのことなんか、女とも思っていないんだから」

 他人事ではあるが、非常に勿体ない気がする。いや、しかし、レンズマンとボスコーンでは、どうしたって無理な組み合わせだ。デッサが無実なら、思考波スクリーンを解いて、先輩に心を見せればそれで済むのに、そうしないのだから。

「先輩は、仕事の鬼ですから」

「ええ、そう……そういうものよね。レンズマンですもの。とりあえず、食事をしながら、あなたの希望の部署を聞きましょうか」

 こうなったら、ここで頑張るべきだろう。少なくとも、多少の貯金ができるまで。無職の男に求婚されたって、クリスさんも困るだろうから。ぼくは深く頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 そうだ、お母さんにも連絡しよう。就職しましたと。それならば、故郷に帰らない言い訳として申し分ない。

 そうか、ぼくは猶予をもらって助かったんだ。半年か一年経てば、きっと冷静にお母さんと向き合えるだろうから。

4章 デッサ

 面白いことになった。あのリック・マクドゥガルが、じかに送り込んできたスパイとは。

 部下に調べさせなくとも、キムボール・キニスンの身元は明らかだった。レンズマンを輩出した名門の末裔でありながら、最後の最後で放校された哀れな坊や。

 ――こんな子供まで利用するなんて、リックも、なりふり構わないわね。

 リックがわたしを怪しんでいるのは、よくわかっている。泳がせて、上級者への手掛かりを掴むつもりなのも、わかっている。わたしの思考波スクリーンを無理に解除させないのは、それをしたら、わたしが死ぬと思っているから……

 わたしの命を惜しんでいるのではなく、ただ、上級者への手掛かりを失いたくないから。

 ボスコーンは確かに、ボスコニア帝国……裏の文明圏とも呼ぶべき巨大な存在だ。麻薬組織も海賊組織も、そのごく一部でしかない。麻薬の流通を密かに手助けしている、このわたしですら、アイヒ族という上位者から指令を受ける、中堅幹部にすぎないのだ。

 そういう現実を知ったのは、惑星ライレーンを出て、何年も経ってからのこと。

 故郷のライレーンでは、女たちはまだ、自分たちの敵は、人類の男たちだと思っていることだろう。

 馬鹿馬鹿しい。人類など、ボスコニア帝国の支配者からすれば、惨めな後進種族の一つに過ぎないのいうのに。

 だだし、銀河パトロール隊の後ろには、アリシア人がいる。レンズなどという武器を与えた、お節介な種族が。

《わかっているな、娘よ》

《はい、心得ております、アイヒミルさま》

 宇宙のどこかにいる上級者……非人類種族のアイヒミルからは、たまに精神接触がある。これは、わたしを監視するレンズマンたちにも感知できない領域の出来事だ。彼らは、思考波スクリーンがあれば、精神接触はできないと信じている。

《スパイなら、それを逆利用すればいい。いずれ偽の手掛かりを与えるなり、こちらの手駒にするなりして、リックやウォーゼルたちを始末するとしよう》

 アイヒミルの思考は、いつも通りに冷淡で簡潔だった。レンズマンのことなど、少しも恐れていない。ただ、多くの種族の応援を得ているから、始末するのに多少の時間がかかるというだけのこと。

 ナドレックやトレゴンシーという、他種族の独立レンズマンたちも、いずれリックと同じ運命をたどるだろう。

 トップ級のレンズマンたちを始末すれば、残りのパトロール隊など問題ではない。彼らの庇護者であるアリシア人さえ始末できれば、この銀河はボスコーンの支配に染まる。その時、わたしは人類社会の女王になれるはずだ。

 ――今でもほとんど、女王のようなものだけれど。

 社交界の名花。有能な実業家。政治家も学者も、歌手も俳優も、わたしが微笑んでみせれば、犬のように飛んでくる。

 ライレーンのような田舎惑星の女王の地位など、わたしの栄華の足元にも及ばない。あそこの女王は、単なる行政府の長にすぎないのだから。

《具体的な作戦は、いずれ指示する。用心は続けよ》

 アイヒミルからの精神接触が終わると、深く息を吐いた。非人類である彼らの精神は、ざらざらした、不愉快な感触だ。しかし、圧倒的に優秀で、効率的なのは間違いない。ボスコーンは、いずれこの銀河を支配する。わたしは、負ける側に付くつもりはない。

 あなたが悪いのよ、リック。どうせ勝てない戦いなのに……それでも、決してあきらめないあなたが。

  

5章 リック

 待たせておいた最新鋭艦――ドーントレス号に戻ると、ウォーゼルのヴェラン号とのランデブーに向かった。彼の船に乗り移ると、大蛇は専用の柱に巻き付いている。これが、彼らの寛ぎの姿なのだ。

「キムをデッサに預けてきたよ。遠巻きの監視も付けてある。あの子が何か探り出せばよし、洗脳されるか変死するかしたら、それもよし。デッサの背後を探るヒントが得られればいいんだ」

 ウォーゼルとじかに会う時、こちらは普通にしゃべればいい。向こうがテレパシー能力で受け取ってくれる。ウォーゼルは、わざとらしくため息をついた。彼の場合、それはふいごのような勢いになるのだが。

《きみも鬼だぞ。半人前の小僧を、いきなり最前線に押し出して》

「仕方ない。任務のために死ぬのがレンズマンだ」

 そもそもウォーゼルに、人を鬼呼ばわりする資格があるのか。彼と部下たちがデルゴン貴族を追い詰め、処刑する時の容赦のなさは、まさしく悪魔的だ。長いことウォーゼルの種族を餌食にしてきたデルゴン貴族だが、今は哀れな逃亡者にすぎない。辺鄙な星系に隠れ、地元種族を食い散らかすしか能がないのだから。

《しかし今回、彼は、自分がレンズマンであることを知らないのだからな》

 とウォーゼルは同情的だ。

 その通り、養成所のホーヘンドルフ校長に掛け合い、首席として卒業するはずのキムを追い出してもらったのは、ぼくである。

『気が進まんな。こういうやり口は』

 校長は渋い顔をしていたが、結局は、ぼくの頼みを聞き入れてくれた。ぼくが、新規の卒業生のうちですぐに使える人材を探した時、真っ先に候補に上がってきたのがキムなのだ。

「それも仕方ない。レンズというのは、単なる道具にすぎないんだ。本物のレンズマンなら、道具なしでも戦えるようでなくては」

 増産されたQ砲と、海賊船の技術を取り入れた新造艦隊のおかげで、海賊船退治は先が見えた。まだ生き残りはいるだろうが、ほとんどなりを潜めている。航路の安全性が上がり、民間人にも安堵が広がっている。

 今だからこそ、ボスコーンの真の中枢を――どこかに潜んでいる統率者を発見しなくてはならない。さもないと、奴らはいずれ新たな武器を開発して、反撃してくる。

 たくさんの頭を持つ蛇のようなものだ。頭を一つ切り落としても、また生えてくる。その間に、別の頭もうごめいている。心臓を叩き潰すしかない。

 その、心臓のありかがわかればいいのだが。

 ウォーゼルと必要な打ち合わせを済ませ、事態が動いた場合の、何通りもの手筈をつけておく。

「それでは、我々はデルゴン貴族の追跡に戻る」

「ああ、気をつけて」

 ぼくはドーントレス号に戻り、新たな任務に出発した。キムの他にも、たくさんの手を打ってある。そのうちどれか一つでも当たれば……何世紀も続いてきた長い戦いも、いよいよ終わるかもしれないのだ。

 もし、そういう時が来たら……いや、ベルをそれまで待たせるなんてことは、考えてはいけない。彼女の若い歳月を、無駄に過ごさせてしまうだけだ。立派な男は、いくらでもいる。愛してくれる男の子供を産んだら、ぼくのことなど、遠い思い出になってしまうはずだ。

 ぼくには仲間がいて、仕事がある。クリス姉さんもいる。それだけで十分、恵まれているではないか。

   『レッド・レンズマン』6章に続く

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