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古典リメイク『レッド・レンズマン』3章-1

  

3章-1 キム

 夕方、着替えのためにホテルに戻ってくる途中、クリフとラウールに、さんざんからかわれた。

「どうしたどうした、天下のキムボール・キニスンが、口も利けなくなるなんて!!」

「そんなに、鬼のクリスが怖かったのか!!」

 頭を叩かれても、背中をどやされても、言うべき言葉がない。

 どうやらぼくはずっと、馬鹿面を下げて、クラリッサ・マクドゥガル補佐官に――休暇中だからクリスでいいと言われたが――見惚れていたらしいのだ。

 短く整えた赤い髪、淡い赤銅色に輝く肌、金茶色の瞳――確かに理知的で、毅然とした美人だが、美人なら他にもたくさんいる。アマンダさんも、ベスさんも、それぞれに魅力的な美人だった。

 しかし、そんなことではなくて……どうしてか、ずっとクリスさんから目を離せなかったのだ。

 前に、どこかで会ったことがある? いや、そんなはずはない。でも、何かを思い出させるような……何百年もの時を経て、うんと懐かしい人に再会したような気がする。

 これはいったい、どんな現象なのだろう。胸が何かで詰まっているような、何か大事なことが思い出せないような、もやもや、そわそわして、何とも不可解な……

 そういうことを何とか説明しようとしたら、二人に呆れられた。

「おまえ、十四歳の子供みたいなこと言うなよ」

「そんなの、とうに経験してなきゃ嘘だろ」

「そんなのって?」

 ぼくにわからないことが、この二人にはわかるというのか。

「だから、そういうのを、一目惚れっていうんだよ!!」

「まさか初恋!? おまえ、本当に女に免疫なかったんだな!!」

 クリスさんたちに夕食に招かれたので、ラウールたちはさっさとシャワーを浴び、正装に着替え始めている。ぼくも背中を押され、三人で借りた続き部屋を行き来しながら、もたもたと身支度をしたが、まだ頭が混乱して、自分がどうなったのか、理解しかねている。

 初恋? 一目惚れ?

 確かに、昼間の衝撃的な出会いからずうっと(見るつもりはなかったが、ほんの一瞬とはいえ、裸の胸をまともに見てしまったのだ!!)、クリスさんしか目に入らなくて、段差でつまづいたり、飲み物をこぼしたり、とんちんかんな受け答えをしたりして、美女トリオに呆れ顔をされてしまった。

 これでは、まるっきり小学生以下だ。ホーヘンドルフ校長が見ていたら、ぼくを卒業させるのを考え直したかもしれない。

 ――クリスさんは、前に何度も、パトロール隊の公式ニュースで見ている人じゃないか。たまたま、現実に会ったからといって、何が違うというんだ?

 しかし、違うらしい。少なくとも、ぼくには前代未聞の異変が起きた。クリスさんの方は、ぼくのドジぶりを不思議そうに見ていただけだが。

 そういえば、クリスさんには、有名な逸話がある。彼女がまだ少女の頃、何かの式典のおりに、レンズマン養成所のホーヘンドルフ校長(当時から校長だったのだ。生まれた時から、校長になる運命の人だったのではないか?)に直訴したというのだ。

『なぜ、女はレンズマンになれないんですか。試験を受けて落ちるのなら、まだ納得できますが、最初から候補にすら選ばないというのは、おかしいじゃありませんか!!』

 公式には『女性の精神は、レンズに適合しない』という理由だ。ホーヘンドルフ校長も、そう言って少女を引き下がらせたという。

 しかし納得しなかった彼女は、猛勉強してパトロール隊に入り、がむしゃらに働いて功績を上げ、ついに最年少の将軍閣下となり、今ではヘインズ司令の補佐官として、最高基地を仕切っているという。新米のレンズマンなど、彼女に叱り飛ばされて、右往左往するくらいだとか。

 それでもまだ、

『女がレンズマンになれないのはおかしい、女を排除したレンズマン制度には問題がある』

 と言い続けているらしい。それでいて、ヘインズ司令をはじめ、どのレンズマンからも信頼を得ているのだから、すごい人だ。

 これはひょっとして、尊敬という感情なのだろうか。しかし尊敬なら、ホーヘンドルフ校長に対しても、偉大な先輩であるリック・マクドゥガルに対しても抱いている。

 クリスさんの姿から目が離せず、わずかでも言葉をかけられると心臓が止まりそうになるのは、なぜなんだろう? これが、世間で言う恋というものなのか? 自分にはそんなことをする暇などないと思っていたのに、なぜ、急にこうなってしまったんだ?

 これまでは、ひたすらレンズマン目指して修行の日々で、女の子なんか、風景にしか見えていなかった。いや、綺麗だとも可愛いとも思っていたけれど、それは、たまたま見かける犬猫に対しても同じだったから。(そんなことを口にしたら、女の子たちに火あぶりにされるかもしれない!!)

「おまえたち、恋愛したことあるのか?」

 と改めて尋ねたら、ラウールにもクリフにも、思いきり馬鹿にされた。

「普通あるだろ、まともな男なら!! 故郷の学校じゃ、半分が女の子だっただろ!!」

「まさか本当に、今まで一度も、女の子に惹かれたことなかったのか!! いったい、どこに目をつけて生きてきたんだよ!!」

 ううむ、ぼくは、まともじゃなかったのかもしれない。

 これでも、多少の自覚はあるのだ。あなたは優秀すぎる。だから、普通の人間の気持ちがわからない。どれだけ、そう言われてきたことか。

 でも、それは程度の差はあれ、レンズマン候補生には共通する特徴だ。クリフたちだって、故郷では、並ぶ者のない万能の秀才だったはず。本当の挫折なんかしていたら、今ここにはいない。

「じゃあその、教えてくれ。女性を好きになったら、どうすればいい? デートに誘えばいいのか? その前に花を贈るのかな? 何の花がいいんだろう。いや、まず手紙を書くべきなんだろうか?」

 ラウールもクリフも、口を半開きにした。真昼に幽霊を見たような顔だ。

「……キム、本当に初恋なら、応援してやりたいところだが……相手は〝鬼〟だぞ。しかも、一回りも年上!!」

 〝鬼〟は職務の上だけだろう。

「優しい人じゃないか。レイフたちを見逃してくれた」

 頬にとはいえ、励ましのキスまでしてやって。できるものなら、こちらにもお礼のキスが欲しかったと、今になって思う。このあたりが、鈍いところだろうか。

「そうじゃなくて、釣り合わないって言ってるんだよ」

「そうなのか? ぼくがレンズマンになっても、まだ足りないかな?」

「違う。逆だ。普通は、年下の女の子から伴侶を選ぶだろ。おまえなら、どんな女の子でも選び放題だ。美人女優だって、アイドル歌手だって、レンズマンが口説けば、いくらでも付き合える」

「そうそう、何も、十歳以上、年上の相手を選ばなくても」

 年上というのも、魅力だと思うのだが。自分の意見があって、主義があって……かっこいいじゃないか。

「あー、別に、選んだわけじゃなくて……落ちてきた隕石にぶつかった、みたいなものかな?」

 恋とは、するものではなく、落ちるものだという。それなら、事故に遭うのと同じだ。ぼくはどうやら、致命的な事故に遭ったらしい。

「きっと、もう、他の女性のことは考えなくていいんだと思う。クリスさんに会ったから」

 すると二人はそれぞれ別方向を向き、うなだれ、肩を落として、ため息をついた。

「ちょっとズレてる奴とは知っていたが、やっぱり、おかしかった……」

「なまじ優秀すぎるから、普通の感覚とは違ってくるんだろうなあ……」

 二人とも、自分のことを、思いきり棚に上げていないか?

 しかしとにかく、ぼくらは自分たちのホテルから、女性陣の泊まっているホテルに向かった。養成所の外に泊まれるのは、卒業式までのわずかな日数の中の、貴重な楽しみだ。養成所の寮は、ベッドと机、ロッカーだけの、ほとんど牢獄のような場所だから。

 車で十五分ほどの、心弾むドライブだった。既に夜の帳が降りて、どのホテルも闇の中できらきら輝いている。周辺の遊歩道をそぞろ歩く人たち、海岸に降りて花火を楽しむ人たち。どこからか、バンドの演奏する音楽も聞こえてくる。夜風が甘くて、オープンカーで走るのが気持ちいい。

 砂漠の中の養成所では、日差しも風も殺人的だった。よくぞ、あの地獄の日々を生き延びたものだと、われながら感心する。今だけは、思いきりバカンスを楽しんでいいのだ。レンズを授与されて任務につけば、ボロボロになって引退するか、運悪くどこかで死ぬまで、走り続ける日々なのだから。

 クリスさんたちのホテルに着くと、車を降りて中庭を通り、プールに面した広いレストランに向かった。約束通り、三人の女性が屋外のテーブル席で待っている。他の席も、楽しげな人々で一杯だ。

「ハイ、坊やたち」

 完全に子供扱いだが、年齢差があるから仕方ない。

「今晩は」

 と挨拶して、同席させてもらった。クリスさんは赤い髪に似合う金色のドレス、アマンダさんは褐色の肌を引き立てる白い服、ベスさんはアクアブルー。それぞれに美しくて、大輪の花のようだ。

 ぼくはラウールたちの配慮で、うまくクリスさんの横に座ることができた。彼らなりに、しぶしぶながら、応援してくれる気持ちが伝わってくる。

「あのう、まだしばらく、地球にご滞在ですよね。来週、ぼくらの養成所の卒業式なんですが、よかったら、皆さんも式の後のパーティにいらっしゃいませんか」

「あら、それはありがとう。ベスとアマンダが喜ぶわ」
   
 クリスさんは、特に嬉しそうでもなく、あっさりと答えた。レンズマン誕生を意味する卒業式は、地球最大のイベントだと思うのだが、クリスさんは興味がないのか。

「あ、そうか、リック先輩の時に、もういらしてるんですね」

「まあね」

 マクドゥガル一族もまた、レンズマンを輩出している名門だ。お父上もレンズマンだったという。だから、レンズマン自体が珍しくも何ともないのだろう。

「あのう、例の、女性はレンズマンになれないという話ですが……」

「あら、そんなことに興味を持って下さるの」

 冷たい言い方のような気がするが、ひるんでいる場合ではない。ラウールたちはベスさんたちと明日の予定を楽しく相談しているようなので、クリスさんに食い込むのは今のうちだ。

「もちろんです。ぼくの考えを述べてもいいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

「人類の場合、女性には妊娠・出産という大仕事があるので、女性の深層心理に、危険を避けようとする強い傾向があり、それをレンズが読み取ってしまうので、適合しないという結果になるのでは……」

「子供を産まない女性も多いのに?」

「それは結果的にそうなるだけで、元来の本能としてはですね……」

「人間は、本能だけで生きているわけじゃないでしょ」

「もちろんそうですが、自由意志とか理性とかいうのも、本能を土台として発生しているのですから……」

 しまった。クリスさんがうんざりしている。何か、作戦を誤ったかもしれない。議論したいわけではないのだ。

 でも、他に、何を話せばいいのだろう。ボスコーンの技術力について? 銀河評議会の議席について? そんなの、クリスさんの方が詳しいに決まっている。

 そこで、レストランの客たちが急にざわめくのがわかった。

「見て、あれ!! 本物よ!!」

「きゃああ!!」

「まさか、まさか!!」

 興奮したざわめきの海を突っ切るようにして、白い夏用スーツの男性がやってくる。赤毛の髪にすらりとした長身、周囲からの熱視線を受け流す涼しい微笑み。そして何より、スーツの袖口からちらちらとこぼれる白い輝き。彼が腕を上げると、手首にあるレンズがはっきり見える。

「やあ、姉さん。ベスとアマンダも、久しぶり」

 リック・マクドゥガルだ!! 独立レンズマン!! ぼくらの大先輩!!

 それまでクリフやラウールに甘い微笑みを見せていた女性二人は、飛び立つようにして彼を出迎えた。ひよっこのことなんか、もはや問題外だ。

「まあ、リック、会えて嬉しいわ!!」

「あなたが来るなんて、クリスは一言も言わなかったのよ!!」

「そうと知ってたら、もっとおめかししてたのに!!」

「いやいや、今でも超弩級に美しいよ。これ以上磨いたら、まぶしくて直視できなくなる」

「まあ、リックったら!!」

 二人の美女は左右からリック・マクドゥガルにまとわりつき、少女のようにはしゃいでいる。憮然としているのは、座ったままのクリスさんだけだ。

「わたしだって、あなたが地球に来るなんて、知らなかったわよ」

「たまたまなんだ。姉さんも来ているとわかったので、ちょっと挨拶しようと思って。この子たちは、レンズマン候補生だね」

 ぼくらは既に直立不動になり、操り人形のように、揃って敬礼していた。

「大先輩にお会いできて、光栄です!!」

 海賊退治の最前線に立つヒーロー。ヴェランシアのウォーゼルと組んだ活躍の数々は、映画や小説の題材にもなっている。その大先輩は、気さくに笑った。

「大袈裟なことはしないでくれ。バカンス中だろ。ぼくも座らせてもらうよ」

  『レッド・レンズマン』3章-2に続く 

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