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「三途の川」を見てきたよ!

三途の川を見てきた。といってもそれは夢の話。だが、私の夢は解像度が高いのでさすがに丸々信じ込んではいないけど半分くらいは三途の川を見てきたつもりになっている。いや、私だけの主観に限っていえば完全に「見てきた」になっている。

ということで、三途の川が果たしてどのようなものか見たことの無い方には多少なりとも興味があるのではないかと思ったのでここに紹介をしたい。

一言でいえば、三途の川、けっこう「システマチック」になっている。おどろおどろしい河原に深い霧がかかり向こう岸が見えない…なんて心霊モノのテレビ番組に有りそうな光景は、全く無い。すぐそこでバーベキューでもやっていそうなありきたりな光景だ。

川を渡る人は意外にたくさんいてみんな行儀よく一列に並んでいる。私もその列に加わり並んでいる。列の横にはふるぼけた木箱で出来た料金箱が会議用の机の上に2つ置いてある。すごく無造作に。川を渡る人はその料金箱にお金を入れてゆく。数人先の様子を見ると、箱のところまでくると100円だか200円だかを料金箱に順番に入れてゆく。すると、通行券なのか昔の子供遊園地の「のりもの券」みたいなちゃっちい紙が料金を入れるところからぴろっと出てくる。お金と交換に人はその薄っぺらい券を受け取るのだ。

私は首を伸ばし、先に川を渡る人たちを見やる。すると、学生時代の友人2人がいるではないか。友人たちは、そろそろと川の中に足を踏み入れてゆく。川底の石に足を取られないようゆっくりと進む。流れはそれほど速くないようだ。川の中央は深くなっているのか腰のあたりまで水に浸かっている。私はふたりの後ろ姿を見つめながら、このまま溺れて下流へ流されてしまうのだろうか、と思い浮かべる。

ぼんやりしていたら列は進み私も川を渡るところまで来ていた。三途の川は上手く出来ていて、人気テーマパークのアトラクションのように人が一列にずっと並んでおり、みんなが少しずつ前進し進むようになっている。私の後ろには人がずらっと列をなして遠くまで並んでいる。そのため、川岸まで来て怖くなっても引き返すことが出来ないのだ。ジリジリと後ろから押し出されるように川を渡らざるを得ないのだ。気が付けば私も冷たい川に足を入れジリジリ川を渡り始めている。

すると突然に場面が転換した。三途の川など何も無かったかのように、集会所のような会場に私はいた。会場には、たくさんの70代から80代くらいの高齢者が机を囲んで座っている。50から60名はいそうだ。隣り合った人たちがめいめいに話し込んでいる様子から私はどこかの町会の寄り合いに来てしまったのだと思った。みんな耳が遠いので互いに話す声のまあ大きいこと。私は居場所無く会場の隅の椅子に腰かけ、賑やかに活気づいたこの状況を眺めている傍観者だった。

そのあとは全く別の夢を見たように記憶している。睡眠中、レム睡眠とノンレム睡眠が交互に起こり人は1日のうちに数回夢を見るというから、きっと一晩のうちにそんな風に夢を見ていたのだろう。

三途の川はこんな感じだ。人は否応なく川を渡るような仕組みになっており拒否する者は誰もいない。そこでパニックになったり、往生際の悪いことなどは何もせず、ただ淡々と向こう岸に向かって渡っていた。

そして、数日経ち、どうにも印象に残るこの夢をこうして文章に起こすところで私はふと気が付いた。あの町会の寄り合い、もしやあれは三途の川を渡った先の光景だったのではないだろうか。寄り合いに高齢者が多かったことからも何となくそれが伺える。もしかして、あの日、私は夢の中で三途の川を渡り、そしてまたこの世に還ってきたのではないだろうか。

そう思うと、三途の川、渡るのもそう悪くないかも。渡った先、けっこう楽しそうだったし。がやがやしてうるさかったけどお気楽でほのぼのとした雰囲気だったもの。でも仕切りたがりな感じの人もいて、結局、あの世もこの世も人の集まるところなんて、どこもさして変わらないみたい。

そんなことがわかっただけでもいろいろなことが「まあいっかあ」となんか思えてしまった。

以上、他愛のない夢の話。

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