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感謝は奴隷のはじまり、

六月十三日

チャーリー・ブラウンは、いったい何歳なんだろう? 七歳に見えるときもあるし、三七歳に思えるときもあるし、七〇歳に感じられるときもある。
単純な姿のわりに屈折した心の持ちぬしでマンガの主人公のくせに「憂愁」とでもいうほかはない表情をしているが、彼とその仲間たちの生きている世界は、まぎれもなく私たちの生きている世界そのものだ。
チャーリー・ブラウンもスヌーピーも、ルーシーもライナスも、私はどうしてもきらいになれない。私が自分をきらいになれぬと同じように。
彼らは私たちと運命を共にしている。私たちは彼らと運命を共にしている。甘さ、からさ、すっぱさ、しぶさ、にがさ――この漫画には人生のあらゆる味がある。

谷川俊太郎『一時停止』「チャーリー・ブラウンの世界」(草思社)

正午起床。ドライフルーツ、ちょこ、緑茶。
休館日のきのう、隣の爺さん問題でなかなか苦しんだ。気温が高くなって、空気中の分子運動が活発になると、臭いも感じやすくなる。この臭い物質は付着性がやたら強いうえに少しづつ揮発するんだから厄介この上ない。日本の「タバコ利権」ってのはいまだにそんなに大きいものなのかね。厚顔無恥なのはニコチンの取り込みを止められない弱小蒙昧な喫煙者ではなく、いまだにそんな野蛮な商品を売ることを止められないJTとその大株主の財務省ではないのか。おもしろいことに喫煙者はしばしば「被害者」を装う。「肩身が狭くなった」とかいいながら。あほか。痴漢常習者が「最近はやたらうるさい連中が増えたからろくに痴漢もできない」と嘆くようなものじゃないっすか。あかんっすよ(村上宗隆)。もっと知的に成熟しましょうよ。「加害者意識」を持つということはこんなにも難しいことだったのか。愕然とする日々がこれからも続きそう。ああ。頭の弱い小人に囲まれながら生きるのは辛い。

うつのみや書店にオヨヨ書林の古書市が開催されていた。東京から来たこの古書店は、文圃閣に次いで俺のお気に入りだ。竪町通りにあったころよく通った。辻潤著作集の2と4、若桑みどり『フィレンツェ』、『天皇百話』(上の巻)を買う。オヨヨさんのおかげで沈鬱がたしょうは晴れました。さんきゅう。

冠木結心『カルトの花嫁:宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年』(合同出版)を読む。「時局便乗本」ということになってしまうのか。もともとブログで書き溜めていたものを書籍化したとある。やたらリーダブルだったので、プロの編集者の手がそうとう入っている。
語り手も含めどいつもこいつもどうしようもないやつらばかりで、読みながらうんざりした。カルトのカモになってしまう人にはこの種のどうしようもなさが付きものなのかもしれない。著者はいわゆる宗教二世だった。幼いころ母親が統一教会信者となったのを知ったが、母親を喜ばすため、自分もその信者になることとなった。文鮮明・韓鶴子夫妻を「御父母様」と崇拝し、合同結婚式にも二度参加した。いずれの結婚相手も韓国人で、絵に書いた様なダメンズ(暴力男)。地獄のような生活を経験した。読みながら私は気が付けば隣の独居老人の顔を思い浮かべていた。薄い壁を隔てて私はヤニ糞ジジイと同居しているようなものだから、嫌な奴と同居することの苦しみがひりひりするほどよく分かるのである。統一教会という教団の興味深いところは、その教義の母体が「キリスト教的」でありながら、いっぽう滑稽なほどに極端な韓国ナショナリズムも含んでいるところだ。現世利益や人格崇拝や愛国心といった、人心を熱狂陶酔させるための古典的仕掛けが大胆にちりばめられている。前の戦争の加害者である日本は「エバ国家」であり、「アダム国家」韓国に仕えなければならない、という教えがあるらしい。著者の二人の韓国人夫があれほど横暴だったのもこうした教えがあったからなのだろうか。このへんは通り一遍の研究ではなかなか分からない。日本人としての誇りを失いつつあったという著者が靖国神社に参拝したという一行には「なんでやねん」と突っ込まずにはいられなかった。人々を戦争に動員するために作られたそんな戦死者顕彰施設も同じくらい「カルト的」なのだと、どうして考えられないのだろう。いかにも詐欺教団にカモられる人らしいな、と思った。

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