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生まれることは害悪なのか、俺はこいつと旅に出る、ぴか虫

三月三日

十二時半起床。好天気。スターバックスのインスタントコーヒーとチョコレート。前者は賞味期限切れのものを友人からもらったもの。ここ二か月ほど酒も飲まず、夜間も含め、起きている時間の大半を読むことに費やしている。原稿を書く時間もあまりない。となると眼精疲労が心配だが、もう十年以上もこんな暮らしなのでもう順応しているか。趣味読書なんてそんな生やさしいものじゃない。僕の生活はいつも本を中心に回っている。本動説だ

町山智浩『アメリカ人の4人に1人はトランプが大統領だと信じている』(文芸春秋)を読む。週刊文春連載「言霊USA」をまとめたもの。僕は映画はほとんど見ないけど、アメリカの「面白ネタ」を手っ取り早く教えてくれる町山氏の本は、けっこう愛読している。旧聞になるのが早い時事情報さえこうしたまとめて読むと面白い。というのも、世界がドン引きした2021年1月の連邦議会議事堂襲撃事件前後の「空気」がなまなましく分かるからだ。事件以前からQアノン信者は「大統領選挙不正デマ」を垂れ流していたし、「オルタナ右翼団体」プラウド・ボーイズは不穏な動きをしていたし、そもそもトランプ自身が「平和的な権力移譲」などする気がなかった。事件の予兆はそこらじゅうにあった。でも実際に起こってみると「まさかこんなことが起るとは」と誰もが反応した。きっと歴史とはそんなものなのだ。そして歴史は繰り返す。今年(2023年)1月のブラジル議会も似たようなかたちで襲撃された。前大統領ボルソナロがどこまで「扇動」に関与していたかも気になるけど、トランプ支持者の影響も無視できないだろう。いずれにしてもこの世界には暴れたい人たちが数多くいるんだな。このフラストレーションに関しては右も左もないのかも知れない。政治など実は暴れる「口実」に過ぎない。「理由」と「機会」さえあれば私もいろんなものをぶち壊したい。ただ国会議事堂や総理官邸などは襲撃しません。襲撃する価値もない。僕は地球そのものを破壊したい。ロックンロールだぜ。

デイヴィッド・ベネター『生まれてこない方が良かった(存在してしまうことの害悪)』(すずさわ書店)を読む。原著は二〇〇六年出版。著者はケープタウン大学の教授。読みながら感じた違和感は数多くある。まずそもそも、「Better Never to Have Been」「The Harm of Coming into Existence」というのはそこまで「直観に反する意見」なのだろうか。人々がそこまで生を「肯定」しているようにはどうしても見えない。日本在住の私にとっては、「生きるって最高」なんて人を探す方が難しい。口には出さずとも誰もが底深いニヒリズムと濃密なペシミズムを抱えている。つかみどころのない不安にさいなまれている。一見まったりしながらも絶望している。その絶望があまりに深すぎるのでスマホやオンラインゲームに「没入」することしか出来ない。でないと彼彼女らはやがて気が狂うだろう。一定の手続きさえ踏めば誰もが「積極的安楽死」で死ぬことができるなら、なんて漠然と考えたことがきっとあるだろう。なにも重篤な精神疾患や不治の病でなくても、「生きるのをやめたい」とぼんやり願ってしまうのが人間なのだ(人間とは「歩く病」だから)。あまり悪くはいいたくないが、世の「素朴な楽観主義者(実はそう見えるだけなんだが)」は大抵おつむが不自由なだけであり、そのおつむの不自由さゆえに「感性ある別個体(子供)」を無反省に作ってしまう。他者の痛みへの理解、想像力がない。そういう鈍感な人たちと日常的に付き合わないといけないのは辛い。長い歴史的スパンでみれば人類はあきらかに進歩しているという「おしゃべり」も相変わらず聞こえて来るが、とうぜん、問題はそんなことではない。ヒトを含めたすべての「感覚ある存在sentient being」に不可避的な「痛み」そのものが問題なのだ。

きょうは2時半に図書館に入ろう。これからはその日の文章進捗率に応じて、2時10分か2時35分かを選べるということにする。

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