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【エッセイ】人工の島、人造の魂(2)

    ★

「わあ〜アメリカみたいやねえ」
 と、幼い私は声を上げました。
 明石の木造アパートから引っ越してきて、初めて高層マンションの七階の部屋へ入った時、ベランダの窓にはまだ黒い半透明のシートが掛けられていました。
 その向こうに反対側のビルのてっぺんが透かし見えて、まるでテレビの中で見る「アメリカ」のイメージそっくりだったのです。
 ここはアメリカじゃないよ、神戸だよ
 と、誰かの声が笑って答えました。
 それが母のものだったのか、曾祖母のものだったのか、あるいは誰のものでもなかったのか、もうはっきり思い出すことはできません。

 島にある唯一の幼稚園は、制服が青いボレロと、カモメのマークがついたベレー帽でした。
 私はそれをえっへんとかぶり、ツーンとおすまししながら母に手を引かれて、入園式へ向かいました。
 正門の前には、眼鏡をかけた白髪の園長先生が立っていました。スカートスーツの胸元に、でっかい白薔薇を挿していました。
 原色のエプロンをした他の若い先生たちと一緒に、満面の笑みでいちいち頭を下げながら、
 おはようございます
 おめでとうございます
 と挨拶を繰り返していました。

 園庭には、砂場、鉄棒、うんてい、小さなジャングルジムといった遊具が設置されていました。
 その中で、のぼり棒とすべり台を組み合わせたようなものがあって、べったりした青色のペンキで塗られ、てっぺんにはロボットの頭がついていました。
 黄色いライト状の目に、猫耳型に尖った二本の角、口はシャッターみたいな格子になっています。
 胴体は円筒状に膨らんでおり、のぼり棒をのぼってそのお腹の中へ入り込むと、すべり台から外へすべり降りてこられる、という仕組みでした。
「かっこいいなあ」
 私はその足元で見上げながら、指先をくわえていました。
「そうかい?」
 と、いきなりそのロボットが返事をしました。ぐわんぐわん、とボウルの中に響くような声でした。
 私はちょっとびっくりしましたが、まあここは人工の未来都市だって聞いているし、遊具のロボットがしゃべるくらいはあるんだろうと思って、落ち着いていました。
「ほめてもらって、嬉しいね」
「にほんごしゃべれるの」
「ぼくの名前は、マリン」
 ずいぶん高いところにある頭から、ロボットは声を落としてきました。
「きみは?」
「はるちゃん」
 マリンと名乗ったロボットは、ちょうどフロッピーディスクを書き込むくらいの時間だけ黙っていました。
「はるちゃん。この幼稚園、いや、この島へようこそ」
「はいどうも」
「きみにはきょうだいはいるかい?」
「はるちゃん、ひとりっ子」
「そうかい。ぼくにはお兄ちゃんがいるよ。ポピア、っていうんだ」
「ポピアちゃん」
「ノン、ノン! ちゃんなんて言ったら、きっと怒られるよ。お兄ちゃんはなんせ大きいんだ。せいかくも、まるでおさむらいみたいなんだ」
「ごめんなちゃい」
「だいじょうぶ。『過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ』だよ。お兄ちゃんは小学校の方のお庭にいるから、はるちゃんもまたすぐ会えるよ。その時に、ポピアちゃん、なんて呼びかけちゃったら、それこそ一大事だろ」
「ほんとうだね」
 幼稚園のすぐ隣には、やっぱり島でただ一つの小学校が併設されていました。幼稚園の庭でもけっこうな広さなのに、そちらの校庭はさらに何倍もあって、ほとんど海みたいな大きさなのです。
「マリンちゃんは、しんせつなロボットなんだね」
「はるちゃん、ぼくはロボットじゃないよ。失礼しちゃう、とまでは言わないけど、そこにはきっとアシモフ的な予断があるよ。ぼくは人造の魂なんだよ」
「ごめんちゃい」
「いいさ。『過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ』だよ」
 こうして私は、遊具のマリンとお友達になったのでした。

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