信仰

以前は真言や仏の存在に疑問を感じていた。

目に見えないのに、どう信じればいいのか、何か役に立つのかなどと考えていたような気がする。ただのよく分からない文字に。

であれば、もっと分かりやすい四諦八聖道など、文字としてわかりやすい十善戒などが良いのではないかと考えていた。

最近は変わってきてしまった。なぜだか分かはないけれど、練習で書いた梵字を丸めて捨てることに抵抗が生まれ、法事の意味をより仏寄りに理解するようになった。
それがなんだということはないのだけれど。

仏を一心に念じれば、花開くとは思わない。
釈迦の教えがとても大切なことで、常に身体に置いておかなければならない。これは変わらない。

目に見えない。心の部分なのだろうか、自分の中の何かがこの数ヶ月で変わった。なんだろうか。

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