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つながる・ひろがる -小さな波紋の大きな喜び-

今年の2月初めに自費出版で本を出しました。
退職したらやりたいと思っていたことが、一つ実現しました
(おかげで出版貧乏状態ですが)。

本を出して最もうれしかったのは、電話やメール、SNSでいろんな反応がいろんな人からあったことでした。

一応、出版社は「全国に流通します」とはいうものの、無名の私が出す本ですから、実際に手に取って読んでくれるのは、私と何らかのかかわりがあった人ばかりです。

でも、そうした人からの反応や感想や祝福の言葉を受けるたびに感じるのです。
ああ、私はこういう人たちに支えられて今までいきてきたんだなあ、と。

私の出版は、小さな池に小石を投げたようなものです。

それでも波紋は広がるのです。

自分の考えていたことを誰かに伝え、伝えられた人が他の人に伝えてくれます。
小さな波紋が、少しずつひろがり、増えていくことはこの上ない喜びです。

何も出版に限ったことではありません。
自分が何か行動を起こせば、必ず何かに影響を与えるのです。
どんなに小さな波紋でも、その大きさ、広さの分だけは世界を変えたと言えなくもないのです。

終末医療に障害を捧げた医師、日野原重明さんは次のように述べています。

「大きなビジョンを描きなさい。たとえ自分が生きている間に実現できなくとも、円の一部にしかなれなくても、後に続く者たちがいつかその円を完成してくれる」

孫 泰蔵(2023)『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(日経BP)、p317

私の投げた小石など、「大きなビジョン」とは程遠いものですが、
今の学校教育のシステムに疑問をもち、教員の意識を少しでもいい方向に変えたいという思いで出版しました。

たとえ、身近な人にしか伝わらなくても、それがいつか大きな円になるかもしれません。
何もしなければ、何も変わりません。

バタフライ・エフェクトというのがあるように、一人の言動が何かを変えるきっかけになるかもしれません。

日本の天台宗の開祖、最澄もこんなことを言っています。

「径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ即則ち国宝なり」
(直径が一寸もある宝玉が十個あっても、それらが本当の国宝なのではない、たとえ世の中の片隅であっても、そこで最善を尽くす人こそ本当の国宝なのである)

最澄『山家学生式』(V・E・フランクル著、山田邦男・松田美佳訳(1993)
『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)、191頁より重引)

大きなビジョンを掲げよという日野原氏と、一隅を照らせという最澄の言葉は対照的ではありますが、根本は同じだと思います。
自分のできることをする、それがもっとも大切なことだということを教えてくれます。

とにかく、
私が多くの人の善意によってここにいるということ、
そうした人たちと確かにつながっているということ、
そして、それを実感できるということ、
それらが何より有難いことだと、しみじみ感じるのです。

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