「受けた恩」と「施した恩」の収支決算。どうけじめをつけるか―『菜根譚』
人にかけた迷惑は忘れてはならない
人に施した恩は忘れてしまったほうがよい。
だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。
人から受けた恩は忘れてはならない。
だが、人から受けた怨みは忘れてしまったほうがよい。
ついついの目先こと、自分の都合ばかり考えて、日々を過ごしがちです。
いろいろなことで、助けてもらったり、お願いごとをしたりしているのに、お世話になったことへの感謝の気持ちや御礼をついつい忘れがち。
中国古典の『菜根譚』に、人づきあいにおいて、忘れてよいことと、忘れてはいけないことあるのを読んで、その反対のことをやっていることが多いなあ、と反省。
忘れてもよいのは、「ほどこした恩」。
忘れてはいけないのは、「人にかけた迷惑」。
人にかけた迷惑について。
自分があの人から恨まれている、とわかっていれば、対応のしようがあります。
ただ、迷惑をかけたとか、恨まれるようなことをしたという自覚がないことことがあるものです。そういう場合には、仕返しをされて恨まれていたと気づくのですが、もうそのときには関係の修復しようがない。手遅れです。
これは「人にかけた迷惑」について、中国文学者守屋洋先生が講義でコメントされたことです。長い人生を送ってきた人らしい教訓だな、と感じ入ったものでした。
たしかに、悪意がなく言った言葉や、そのときのノリであの人は〇〇でと言った話に尾ひれがついて、神田が悪口を言っているとか、嫌っているということになってしまいがち。
アイデアや提案に、もうちょっとこうしたほうがいいかな、とコメントしたことが、「否定された」となってしまい、あの人とは一緒に仕事をしたくないという感情に発展しまうものです。
しかも、当事者である本人の意識は、日が経つとともに記憶が薄れてしまいがちなので、このことは、肝に銘じたい。
恩はお返しするのが「人生作法」
もう1つ、「ほどこされた恩」について。
90歳に達した守屋洋先生のコメントが、実に含蓄に富んでいるのです。
若い頃は手助けされたり、いろいろと教わり、ご馳走になったり、経済的に支援を受けたりと、人から受ける恩のほうが圧倒的に多い。私もそういう人生を送ってきました。
恩は忘れないようにしておいて、お返しができるようになったときに、お返しするのがいい。
そう前置きして、次のようにおっしゃったことが心に刺さりました。
恩はお返しするのが「人生作法」。
ところが、いざ無理なく恩返しができる年齢になってみると、その恩人はこの世にいない、ということもあります。そのときにはどうするのか。
恩人の子息や家族に謝意を伝え、恩返しをする。そういう対象がいないときには、寄付をするなりして、社会に還元したい。
「恩」の収支決算、プラスマイナスゼロ、できれば、プラスで人生を終えたい、ね。
守屋洋先生は、こう話を締めくくられました。
さて、自分を振り返ってみると、どうか。「恩」の収支決算は、まだまだマイナスです。
最後に読み下し文を。
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