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「自分が正しい」と考えて突き進む。それの何がいけないのか―『呻吟語』

人の一生の大なる罪過は、「自是自私」の四字に在り

 これまでの人生、いろいろと失敗や間違いをし、それなりに反省をしてきた。そのつもりでいました。
 しかし、まだまだ思慮も経験も浅い。そう思わされたのが、中国・明代の呂 坤(呂 新吾)『呻吟語(しんぎんご)』の言葉に触れたときです。
「自是自私」(じぜじし)
 耳慣れない言葉ということと、常にこの過ちを犯す可能性があるということで、とても身につまされる思いをしました。

「人の一生の大なる罪過は、只だ「自是自私」の四字に在り」。

人生の最大の過ちは、「自是自私」、つまり自分が正しいと考えて、自分本位に行動することである。

 公の利益を分かち合おうせず、自分だけの利益を求めようとする、自分さえよければいいと考える。それが最大の過ちであると。

『論語』里仁編でも孔子がこう言っています。

子(し)日(い)わく、利に放(よ)りて行(おこな)えば怨(うらみ)多し

自分の利益ばかり考えて行動していると、他人の恨みをかいやすい。

よく知られているので、自分の利益ばかり追求してはいけない、と戒めにするには、るので、この言葉のほうが、通りがいいのかもしれません。

これまでの人生、いろいろと失敗や間違いをし、それなりに反省をしてきた。そのつもりでいました。
しかし、まだまだ思慮が浅い、と思わされたのが、中国・明代呂 坤(呂 新吾)の『呻吟語(しんぎんご)』のこの言葉に触れたときです。
「自是自私」(じぜじし)。耳慣れない言葉ということと、常にこの過ちを犯す可能性があるということで、とても身につまされる思いをしました。

「人の一生の大なる罪過は、只だ「自是自私」の四字に在り」。

人生の最大の過ちは、「自是自私」、つまり自分が正しいと考えて、自分本位に行動することである。

公の利益を分かち合おうせず、自分だけの利益を求めようとする、自分さえよければいいと考える。
それが、最大の過ちであると、呂 坤(呂 新吾)は諭しています。。

それよりはるか前、中国古代において、孔子が『論語』里仁編でこう言っています。

子(し)日(い)わく、利に放(よ)りて行(おこな)えば怨(うらみ)多し。

自分の利益ばかり考えて行動していると、他人の恨みをかいやすい。

 よく知られているので、自分の利益ばかり追求してはいけない、と戒めにするには、この言葉のほうが、通りがいいのかもしれません。

「自私」に無自覚な状態での言動が、いちばん危ない。

 問題は、本人が「自私」であることを自覚していないとき。「自私」に無自覚な状態での言動が、いちばん危ない。
「自分は正しい」ことをやっている、という思考の穴に陥っているときも、そうです。
 自分を振り返っても、思い当たることがいくつもあります。

 経験を積み、実績を上げるにつれて、自信がついてくるものですが、それがともすれば過信になりがち。
 あるいは、過去の成功経験にとわれてしまい、これからチャレンジすることなのに、人の意見よりも、自分の考えのほうが適切である、と思い込んでしまう。

「自分が正しい」と思いこんで、突っ走ることほど、危険なことはない。
それも「正義」という旗を掲げてやっているときほど。

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