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人はなぜ不正をするのか。止めることはできないのか。その1ー孔子の「仁」

なぜ人は良心に反して不正をしてしまうか

なぜ人は不正をしてしまうのか。
それは、もって生まれた性質と、どう関係しているのか。

企業において、弱い立場にある社員が、組織的な圧力に屈して、自らの良心に反して、不正に加担してしまう。それを防ぐには、どうすればいいのか。

人は過ちやミスをするし、判断も間違えます。無意識にルールを破ってしまうこともあります。
一方で、ミスや誤りを修正し、間違いを犯さない方策を考えることができます。ルールを守るべく自己コントロールする能力も備えています。

そういう人の行いや考え方をもとに、古代中国の時代から、数多くの思想家が、人の行いや思想の淵源について考えてきました。

人はどういう性(質)をもって生まれ、それが行動にどう影響するのか。
よく知られているのが、「性善説」と「性悪説」です。それぞれに一理があるけれど、一つの説をもって、すべてを説明することは、いまもってできていません。

組織でなぜ不正が行われてしまうのか。しかも、組織は弱者の立場にある人間が、良心に反して、不正に加担するケースが少なくありません。
(人間力や『論語』に関する)勉強会で、そのことをテーマにしたレクチャーがありました。

そこでは最近提示されている「性弱説」のことが紹介されていましたが、よく理解できなかったこともあり、古代中国の人間観、思想をおさらいすることで、考えるヒントを探ってみました。
それを数回にわけて紹介します。

  • 「性善説」「性悪説」以前の考え方―孔子は理想の徳として「仁」を掲げた

  • 孔子の教えと孟子の「性善説」との関係について

  • 『荀子』の「性悪説」について

  • 「性悪説」を発展させた『韓非子』「法家」の思想

  • まとめ 古代中国の主な思想家の人間観 

第1回.
「性善説」「性悪説」以前の考え方
―孔子は理想の徳として「仁」を掲げた

「性善説」と「性悪説」。
 人の本性は「善」なのか。
 それとも、人の本性は「悪」なのか。
 人間の本質を考察した2つの対照的な思想。その大本にっているのが、孔子が唱えた理想の徳「仁(じん)」です。

 中国文学者の故・宇野哲人先生は、孔子の教えを次のように解説されています。

 孔子は政治上においては徳治(とくち)主義者であり、為政者(いせいしゃ)はまず己(おのれ)を正して民に臨(のぞ)むべしとしている。
 孔子の教えの理想とするところは「仁(じん)」である。
 「仁」は諸徳を包括(ほうかつ)した円満完全な徳である。

 「仁」を体得した人は人格の完全な人である。
孔子は理想的の徳としては「仁」という標語を用いて、理想的の人格者としては「君子(くんし)」という標語を用いるのである。
                                                       『論語新釈』宇野哲人著 「解題」より

次に、孔子は「性」=うまれながらの性質・本質を、どう考えていたのか、みていきます。
 孔子は、『論語』でこう語っています。

性 相近し、習 相遠し。

 宇野先生の通釈は次の通りです。

 人の性(せい)はその初め相(あい)近(ちか)く何人(なんびと)も似よっているものであるが、ただ善に習えば善となり、悪(あく)にならえば悪となって、相(あい)遠(とお)ざかるのである。

 孔子は「性」=うまれながらの性質・本質が、善であるとも悪であるとも述べていません。
 その人が善となるのか、悪となるのか、その違いは教育や環境によって生じるものだ、と考えていた、ということです。

 孔子の考え方をかいつまんでいえば、教育や環境によって、善なる行動をとるようになるけれど、コントロールができなければ人の道を踏み外すことをしてしまう。

 なので、志や学びによって、「仁」を高めて、人々を導いていきなささい、よりよい社会を築きなさい、と説いているわけです。


 以降は第2回へ。
 孔子の教えと孟子の「性善説」との関係について
 *連載を最後まで紹介したところで、記述内容をアップデートする可能性があります。

 

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