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ネットで得る知識に加えて、生きた学問も学ぼう―『論語』

知識を吸収する。さらに、自ら見聞きして学ぶ

「人生において、学ぶこととは、知識を吸収する学問のことに限りません。
相手に通じていたと思っていたことが、実はわかってもらえていなかった。自分の未熟さに気づいたら、どうしますか? それを補うように、見聞きするなど、自ら進んで学ぶようになるでしょう」。

論語塾講師の安岡定子先生から、『論語』の講義の際に伺った話です。

 生きた学問がいかに重要か。
 社会人の駆け出し時代に、先輩や仕事先の方などから、よく聞かされたものです。その頃は、新技術や新サービスに関する知識を吸収する知力に長けている、という自信があり、ことさらに人から学ぶ必要などない、と思い込んでいました。

 やがて、社会人として経験を積むうちに、知識の優秀さだけでは通用しないことを思い知らされるようになりました。
 自分より優秀でより価値のある情報や知識を持っている人がいて、そういう人たちにはかなわない。そして、なによりも自分ひとりでやれることの限界に気づかされました。

 自分はまわりよりいい仕事をしている。
 スタッフの一員でいるときの意識はそれでもいいのですが、小さいながらもチームを率いて仕事をしていくとなると、いろいろな人の力や知恵を借りないとできません。
 そのときになって、人生の経験に基づいた教えや、人の考え方に対する理解、つまり、生きた学問の大切さが痛いほどわかってきました。

 さて、本題に戻って、この話の元になった、孔子の弟子・子夏(しが)が学ぶ姿勢について語った言葉を見ていきましょう。

 日々、自分がまだ知らないことを知り、月々、復習することを忘れないようにつとめる。
 これを本当に学ぶことが好きだ、といえるだろう。

 月々とは、折に触れて、とか、あまり間をおかずに、ということを、日々に対して、例えて言っているのでしょう。いずれにしても、復習すること、振り返ることを習慣づけているか、どうか。

 メモをする、記録する。そして、時間をおかないうちに復習をする。
 いいことを聞いたなとそのときは感動しても、メモをしておかないと、記憶力がかなり落ちているえ、そのあとに忙しいことが続くと、すっかり忘れてしまっている。そんなことがしばしば。
 なので、最近は、これいい話だなと思うと、スマホで録音するようにしています。

 最後に子夏の言葉の読み下し文を。

日にその亡き所を知り、月にその能(よ)くする所を忘るること無きは、学を好むと謂(い)うべきのみ。                              

『論語』子張篇

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