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11.天皇陵の治定の事情

天皇陵3本目です。
治定(じじょう)の事情ということで……(^^)

治定とは、陵墓に埋葬されている埋葬者を特定することです。

治定の流れ

治定が始まったのは江戸時代末といわれており、尊皇攘夷の考えに関係しているらしいです。そこから幕府が修復管理に乗り出して、明治政府や宮内庁の管理となり、という、大雑把な流れとしてはこんな感じ。

京都以降は記録に信頼性がおけるため、確実に管理されている陵墓は治定の信頼性も高いのですが、室町時代とか適当に埋葬されている陵墓もあったみたいで、特定が困難なものがあるらしい。また、当初は寺院が管理していたものの、寺院の方が廃れてしまって荒れ果てた陵墓とか。

奈良・大阪の陵墓は古墳が多く、地元の人が陵墓と認識してなくて宅地開発していたり、周濠を溜池として使ってしまったりと、管理に問題があったんですね。
そこからきちんと管理しなくては!と、治定の流れになったようです。

そこは本当に天皇陵か!?

ただ実際問題、その陵墓は天皇陵じゃないだろ、というのも多いみたい。

その代表が継体天皇陵。

継体天皇陵として治定されている陵墓。出土品などから5世紀中頃には製造されていたはず。
一方の継体天皇の没年は6世紀に入ってから。
そしてこちらが、考古学的に継体天皇陵で間違いないとされている、今城塚古墳。


他にも、世界遺産になっている履中天皇陵・反正天皇陵も実は怪しい。

この写真は、百舌鳥古墳ビジターセンターの展示。百舌鳥古墳群の位置を示してる分かりやすい展示です。
左の青マーカーが履中天皇陵。
代としては、中央にある日本一大きい御陵の仁徳天皇の次が、この履中天皇です。つまり履中天皇陵の方が後の代なので古墳としても新しいはずなのに、埋葬品を調べると履中天皇陵の埋葬品の方が仁徳天皇陵のものより古い、という結果が出たのです。
また、写真北の小さい赤マーカー。これが反正天皇陵として治定されている古墳陵墓です。
反正天皇は履中天皇の次。3代続いて造られた陵墓にしては、北にある陵墓は明らかに規模が小さい。そう思って右端に目を移すと……おや、こんなところに仁徳・履中に劣らない立派な古墳が。
世界遺産の構成資産にもなっているニサンザイ古墳です。ここは埋葬者が明らかになっておらず、一応『参考地』扱いです。(参考地とは、もしかしたら天皇陵関連の可能性があるかも?な陵墓)
もうここが反正天皇陵なんじゃないですかね?

治定の見直しが進まない

考古学もそうですが、学問って新しい発見によって今までの通説が覆るっていうのはよくある話ですよね。研究が進んだり、新しい出土品が発見されたりで、それまで推測にすぎなかったのが確信に変わることもあるでしょう。

ここで問題なのは、天皇陵の管理を宮内庁が行っているということ、そして天皇が昔から今に至るまで続いている家系ということもあります。
エジプトのピラミッドや始皇帝陵などは、血脈としては絶えているため、研究がしやすいという側面があります。
対して天皇家は今も続く、世界で一番長く続く家系ですし、宮内庁としても、「リアルタイムで祭祀を行っている以上はそこが天皇陵」という姿勢を変えるつもりはないようです。治定の変更は、被葬者の特定が明らかな史料が見つかる、天皇陵でないことが明らかな文献が見つかる、ということがない限り行わない方針のようです(古墳の製造時期や埋葬品の製造時期のズレ程度は、明らかな証拠でない、ということらしい)。

しかし、今も続く皇室の陵墓であるため、調査が全く進んでいません。宮内庁が調査を拒否しているんですね。考古学者や歴史学者としては、調べさせてくれたら長年の論争に終止符が打てるかもしれないのに!というところでしょうか。めっちゃ苛立っていると思われ。

一方で、今城塚古墳みたいに参考地にすらなっていないため研究がしやすく、その結果考古学的には天皇陵であることが明らかだ、という結論が出た古墳がある、というのはなんとも皮肉な話。

それでも、宮内庁は治定を改めないでしょうね。こっちが違うっていう証拠もないし、というのが言い分。調査すらさせないのだから証拠もなにもあったもんじゃないでしょうけど。

ただ、こっちの方が有力!という候補陵墓がある継体天皇はマシなのかもしれません。
特に古墳陵墓では、天皇陵と治定されていても絶対にそうだ!と確定なのは数えるほどのようです。
ちなみに今回の記事の見出し画像は、確実にこの天皇の御陵と分かっている、天武天皇・持統天皇の御陵。夫婦で合祀されていてお気に入りの陵墓です。

奈良は京都に遷都された後、「1000年の田舎」と揶揄されるほど開拓がされなかったため、よく分からない古墳も比較的きちんと残っています。古墳陵墓の近くにある立派な古墳が実は天皇陵なのかも!なこともありうる話。

しかし大阪は、もちろん日本第二の大都市。もしかしたら知らないうちに壊されて跡形もなくなった天皇陵が、実はあるのかもしれませんね。

そんな妄想に浸りつつ……天皇陵の話はこれでひと区切りと致します。
宜しければ、以前の2つの記事も読んで頂けると嬉しいです(๑>◡<๑)

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