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いまの乃木坂46はテセウスの船なのか? ~「乃木坂らしさ」を考える

テセウスの船:
 
英雄テセウスがクレタ島から帰還した船には30本の櫂があった。
 しかし船が長く保存されるうちに朽ちた木材は徐々に新たな木材に
 置き換えられていった。全ての木材が取り換えられたその船を、
 ある者はもはや同じものとは言えないと言い、
 別の者はまだ同じものだと主張した。という哲学パラドックス。

結成初期に在籍した1・2期生が全員卒業した2023年以降、
私のような乃木坂村の古(いにしえ)の民にとって、
乃木坂46はまさに「テセウスの船」になっています。
あの頃の人はもう誰もいない、ていう。
しかしここで難しいのは、1・2期生と3期生以降が共存していた
乃木坂46も見続けてきたという点です。
その頃とはそんなに変わっていない気もする…。
そもそもアイドルも生きている人間なワケで、どんどん変わって
いくのは自然の摂理。成長するし歳もとる。
個人アイドルなら当たり前のことです。何ならマンガとかでも、
7巻以降の展開はピンとこないから自分的にはここで終了って
感じで変化によって離れることは普通にあるし、それは別に
責められることではないはずです。
じゃあなぜ私はパラドックスに嵌まっているのだ?
今、目の前にいる乃木坂46を私は好きじゃないのか?
てかそもそも「乃木坂46らしさ」って何なんだ?!
というワケで、今回は乃木坂らしさについて考えてみたいと思います。
 
まずはこちらをご覧ください。

 
私が思う乃木坂らしさはコレです。
私が乃木坂を見たいな聴きたいなと思うときに欲しているのは
こういう成分です。真っすぐで、透明で、上質なもの。
もっと別のものを思う方もいるでしょうが、少なくとも私はコレです。
乃木坂46を名乗り、その楽曲を歌うのなら、こういう感じを
醸し出してほしい。
いま(2024年)の乃木坂は完成度が高すぎるというか、
理想の形を言われたとおりに隙なく仕上げてくるというか、
真っすぐ感が弱い感じがするというか…。
まあこれは生駒里奈の存在と、実際試行錯誤だった時代との違いも
あるだろうから言っても仕方ないことなんですけどね。

つまるところ、「らしさ」とは今現在そこにいる人によって
日々作られるものということです。
日々の行動や選択=らしさであり、変に意識して自制してしまうと
当人の良さが消えてしまうし、偽物になってしまう。偽物なんて、
それこそ乃木坂らしくない。
ファンとしては、元カノの面影を探すような無粋なマネはせず
新章を見守っていきたいものです。
そして願わくば、『Wilderness world』のような曲で楽曲売れして、
世間的な代表曲をつくってほしいと思っております。

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