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齋藤飛鳥は星野アイになれるのか?~『推しの子』実写化展望

卒業コンサートから約10ヶ月が経った齋藤飛鳥さん。3月には映画『マイホームヒーロー』も公開され、女優としても本格始動です。そして何といっても注目されるのは、実写版『推しの子』の星野アイ役に抜擢されたことでしょう。これはデカい案件ですよ!期待がふくらみ…ふくら…むかな? うーん。
今日は、見出しのとおり、齋藤飛鳥は『推しの子』星野アイになれるのか問題を考えてみたいと思います。長文です。


不安要素① ポスターのコスプレ感

これについては齋藤飛鳥のせいではない。これを理由に爆死を予言するのは気の毒だと思います。
まず第一に、そもそもあのイラストはハリボテ感を狙って描いてあると思います。一昔前な衣装デザイン(そもそもアイが活躍したのは15年前設定)、ベタ塗りした派手な色使い、取ってつけたようなフリルや髪飾り。初めてあのイラストを見た時は、え…このセンスの人が作画やるの…?と不安になったほどです。でも本編を見るとそうでもない。つまり、わざと″あの感じ”にしてあると推察できます。忠実に再現すればするほど安っぽさが際立つのはむしろ当然なのです。
第二に、表情が間違っている。イラストの方のアイは、結構舌を出して、目力最大出力で挑んできます。世間をだます気満々の表情。そこがイイ。一方『推しの子』ポスターの齋藤飛鳥の表情はお人形のような整った無表情。何か鼻筋が強調されてるし、舌も申し訳程度に出てるだけ。ツンデレ・妹キャラで昇りつめた齋藤飛鳥にとって、本来なら企み顔は得意なはずなのに…。何故、大事なメインビジュアルのポスターにあの写真を選んだのか。本当に意味が分からない。そういう意味では、スタッフ側がいろいろ理解していないのでは?という不安は募ります。それを以って、あのポスターが不安要素の根拠だというなら超分かります。あれはない。

不安要素② 「イメージと違う」

これは漫画原作の実写化にはついてまわる壁です。だって絵で正解があるんだもの。ただ、やたらと「イメージが」というのも如何なものかと思います。私は『ちいかわ』が好きなんですが、アニメのラッコ先生の声、あれ私的にはイメージじゃないのです。スゴイ勇者声だし、上手いと思うんですが「ラッコ先生ではないなー」と思って見てます。でもそれだけです。だって見る人全員が100%イメージ通りという事は=全員の脳内志向が一致してるという事です。そんなのありえない。だから「イメージが違うからダメ!」ってすぐ言う人には、いや他の人のイメージには合ってるかもよ?と思ってしまいます。
とはいえ、齋藤飛鳥側も努力は必要です。例えばデビュー以来基本ずっとしてるストレートロングの髪型は、役作りとして変えてもいいと思います。アイもストレートロングだけど、毛先とか結構動きのある感じだから。とにかく今のままなら「ただの齋藤飛鳥」になるし、それは無策すぎる。
すでに売れている人は、知名度の分だけ観客一人一人がもつ「イメージ」があります。どうしてもイメージを優先したいなら、まだ無名か、全然別ジャンルの人、例えばK-POPの研究生を日本アイドル風に仕上げて出すくらいしないと難しい。でもきっといろいろ言われますよね? かように、「イメージ」とは曖昧な評価軸であり、プロのヘアメイクとスタイリスト、演技力があれば解決することだと思います。

不安要素③ 脚本(内容)

そもそも原作のどの辺をやるかによって、アイの物語内の比重・役割は変わります。MEMちょとあかねがいるという事は、恋愛リアリティーショー編まで? だとすると、まだそれほどアイの内面を掘り下げない脚本にして、重要人物ではあるけど出番は多くない構成もあり得ます。カリスマアイドルらしさはライブシーン(あるよね?)で発揮すればクリアできるし、むしろその点を期待されてのキャスティングだと思います。ただあの乃木坂時代のキメキメオーラが画面を通して伝わるかは分からない。生と画面越しは全然違うだろうし、どうなんでしょう?
あと、多分原作そのままになるだろうもう一つの見せ場「死に際」が意外と難しいかも。YOASOBIの『アイドル』の歌詞になってたりで、最後のセリフを皆が知っている点が、逆に大プレッシャーです。あそこをどう言うかで作品の印象まで変わってきます。どれくらい演出をいれるのか…。でも昨今問題になってる原作改変の是非もあるし、どうなるか分からないですね。ただセリフにない感情を感じさせてこその役者なので、踏ん張ってほしいです。

不安要素④ 演技力

③と繋がりますが、これは正直不安です。演技力は…足りないんじゃないかな…齋藤飛鳥以外のキャストも含めて。過去の映像作品を観る限り、意外と出来てるはあっても、演技うまっ!は、私評価ではなかったです。
実写物を成功させるキャスティングとは、①演技力のある人をつかう ②外見やイメージが近い人をつかう のどちらかです。ファン以外の大半の観客は①を求めるし、私も演技力がないなら俳優業はやらないでほしい派です。
それぞれに近年の成功例をあげると、①はNHK『岸部露伴は動かない』です。高橋一生は全然岸部露伴っぽくないけど(てか、生身であんな人間はいない)ドラマは原作派にも好評で映画化もされました。
②はNHK版『大奥』の冨永愛です。見た目のイメージがぴったり過ぎて、あそこまで行くと存在だけで役本人に見えて、演技とか二の次でした。表情も良かったので、演技が下手なわけではないんでしょうしね。
ちなみに特例中の特例は、③旬の人をつかう です。マスコミが作った゛ブレイク中”ではなく、人生のピークの瞬間がきてる人をつかえば最高に輝いて見えます。例は『あまちゃん』の能年礼奈(のん)です。今見ても演技力もキャラも関係なしにキラキラしてます。但しこれはまだそれほど知られていないことが絶対条件なので齋藤飛鳥には出来ません。
と考えると、キャスティング的には、①②③全部当てはまらないということになります。

結論

以上4点から考えてみた結論は、
スタッフ(脚本含)に恵まれ、本気で演技をするなら成功する、です。

全力でアイドル仕草をする秋元真夏や山下美月を冷めた目で見て笑いをとる絶世の美少女…それが乃木坂での齋藤飛鳥の役割でした。でもそれは、狭い乃木坂村でのルールです。そこで得た方法論に固執するなら、実写版『推しの子』は失敗するだろうし、その戦犯として齋藤飛鳥が挙げられても仕方ない。
乃木坂で築いたモノ(キャラ・イメージ・ポジション等)を全部投げ出して、世間が求める「完璧で嘘つきな一番星の生まれ変わりなアイドル」を作り上げるなら、ポテンシャルはあると思います。だって顔は文句なしの美少女だし、パフォーマンス力も何だかんだ高いですから。乃木坂では許された立ち位置を捨てて、乃木坂では推奨されなかったキャピったアイドルを全力でやるなら、勝算はあります。
ここで目の前のひとつの仕事(役)に全身全霊で取り組むか、それとも乃木坂時代の優位とファンをキープしてその範囲内でやるか。女優になるかタレントになるか…ここが分岐点だと思います。

乃木坂46初期推しとしては、こんなにスゴい娘がエースだった乃木坂46とはどんなグループだ?と世間がザワつき、新規のファンが今の乃木坂46に注目するくらいの齋藤版アイブームを巻き起こしてほしいと願います。
自分のためより、仲間のための方が頑張れるのが乃木坂1期生。「乃木坂46というグループの為に!」をモチベーションにすればスーパーパワーが湧いてくるんじゃないでしょうか。何かいろんなものを総動員して頑張ってほしいものです。

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