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noteを始めたわけ 自己紹介

 こんにちは。胡桃です。
 自己紹介の第二弾。前回書き切れなかった分を書きました。

 自己紹介の第一弾はこちら↓

(以下、文体が急に変わります。常体の方が書きやすかった……。)

 さて、noteを始めた理由を書いてみようとすると、文章を書くことが好きだからとか、文章を書く練習がしたいからとか、色々と浮かんではくるのだけれど、一口にこれだというのはどうやら難しい。
 直近のきっかけは「ライター」という仕事に興味をもったからで、これについては少しあとで書き加えることとして、noteを始めたのは、最終的には、自分の夢のため、ということになるだろうと思っている。夢の内容は、わたしの中でもまだ漠然としているので今ここに書くつもりはないが、この場に文章を書くという行為が、夢の実現につながっていったらいいなと思っているし、そうなるようにできるだけの努力はしようと思っている。とにかく、色々な思いや思惑や思考があって、とりあえずnoteをやってみよう、という結論がぽんと出てきた。

 わたしがどうしてライターという仕事に興味をもったのかというと、たぶん、書くことが好きだからだと思う。そして、じゃあ自分には一体何ができるのだろう、できることがあるとすればそれは何だろう、というのを考えてみると、結局、書くことくらいしか思いつかなかったからだと思う。
 文章はずっと書いてきた。とはいえ、書いてきた経験があるとはいえる気がしない。(そもそも、書いてきたのは物語なので、ライターが書く文章とはだいぶ系統がちがう。)構成力がまず壊滅的だし、語彙もないし、文章はへたくそである。だけど、書けるようになる努力はできる、そんな気はしている。
 自分の好きなように書けるわけでも、好きなことを書けるわけでもないだろうから、ライターはたぶん、自分のやりたいこととはちがう、と思っていた。今も、ほんとうにやりたいのかは分からないし、やると決めたわけでもない。ライターの実情やらあれこれを調べてみて、やっぱりちがうな、と気持ちが離れたこともある。それでも、なぜかまたやっぱり戻ってきてしまう。そんな感じなのだ。とある記事で、執筆者の名前のあとに、フリーライターという肩書きが書いてあったりすると、ついつい目がいってしまう。この人は、書くことが仕事なんだな、と思う。わたしはたぶん、文章や、文章を書くという行為、そして、それを仕事にするということに、引かれるのだと思う。

 と、いうわけで、とりあえず、来年の年明けか、それより少し先くらいから、オンラインででも講座をとって、書く勉強をしてみようかな、なんてことを考えたりしている。え、来年の年明けってずいぶん先だな、と思うかもしれない。いやあ、来年かあ、長い、遠いなあ、と自分でも思う。だけど、現実的な諸々のスケジュールを考えると、それくらいがちょうどいい、という結論になる。ほんとうは、noteを始めるのも、秋くらいからでいいと思っていた。でも、思い至ったからには、それまで待っているのも落ち着かなくて、そうと決めたからには今からでもいいか、と開設してしまった。

 ライターは、わたしが一番やりたいことではないし、分かりづらい書き方をしてしまったけれど、先に書いた夢=ライターではない。今は、先に書いた夢の手段というか、手段というといい方が乱暴な気もするけれど、夢の一部というか、そんな位置づけで、これからどんな位置づけにしていきたいのか、もっと広げると、自分がこれからどうやっていきたいのか、というのはまだ決まっていない。そのときは、やってからやりながら、決めていけばいいことだと思っているし、わたしにはそのやり方が一番やりやすいらしい。今は、やるときは、多少の副収入にできるくらいになればいいかなと思っている。

 長々と書いてしまった。内容がライターうんぬんに偏ってしまったが、これはnoteを始めたあくまできっかけであって、目的ではない。結局のところ、わたしは書くことが好きで、noteも、楽しんで書けたらいいなと思う。そしてその楽しさを、伝えることができたらいいなと。

 インドの古典医学アーユルヴェーダの考え方の中に、「ピッタ」「ヴェータ」「カパ」というのがある。ピッタは火、ヴェータは空や風、カパは土や水を意味する生命エネルギーのことで、人は三つのエネルギーすべての性質をもつけれど、すべてを同じ強度でもっているわけではない。生まれながらにもっているエネルギーのバランスは人それぞれで、ピッタの強い人、ヴェータの強い人、カパの強い人といる。炎のように熱く激しいピッタ、風のように軽やかで柔軟なヴェータ、地のように堅実着実で安定したカパ、といった感じだろうか。
 わたしは、友人に「胡桃ちゃんは思考が柔軟でわたしからはヴェータに見える」といわれてはじめてその可能性もあるかと気づかされたけれど、自分ではずっと、自分はカパだと思っていた。
(自分の認識では、エネルギーの強い順に、カパ、ピッタ、ヴェータだっだ。ヴェータは一番最後。軽やかさなんて自分には全然ないもんな、と思っていた。人に言われて初めて気づくこともあるもんだ。)
 何にせよ、カパの性質が強いのはたしかだろう。少なくとも今のわたしには、こつこつ地道にやる方法しか分からない。いきなりベンチャーを立ち上げるとか、ぽーんと遠く海外へ飛んでいくだとかはできないけれど、noteをやるにしても、何をやるにしても、カパはカパらしく、地味に小さなことを積み上げて、大きなものでなくともいい、何かたしかなものを作り上げていければなと思う。

 正直にいって、自分がどこまでやれるのかは分からない。どこまでやれるのかというのは、どのくらいの頻度で、どのくらいの量を書けるのかという意味で、自分が、どれだけのことをこなせるのかということだ。
 というのも、週五日フルタイムで仕事をしていて、友人からのラインにもまともに返信ができないくらいに忙しい、忙しいくせに、今、いろんなことを同時進行でやろうとしている。もちろん趣味にも忙しい。noteだってほんとうはもっと読みたいし、note活動ももっとしたい。
 自分がどこまでやれるのか、も試しつつ、ようすをみながら、書くということをやってみようと思う。

 長くなってしまったのに、最後まで読んでくれてありがとう。それでは、また。次はもうちょっとかかるかな。

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