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「共存」

「かぜのかみとこども」
  瀬川康男絵・フレーベル館
 
 実家の屋敷森の中に、大きな栗の樹が三本あった。秋になって風が吹くと、樹は実を散らした。栗拾いは、子どもの役目だった。朝、ザルと棒を手に、弟たちと庭に駆け出していく。
実った稲の間や茂った草の中に、栗は光りながら隠れていた。家畜小屋の屋根や雨どいの中にもこっそりと落ちていた。困難な場所ほど拾うのが楽しくて、宝探しをしている気分だった。イガ栗は、両足でイガを挟み、棒で実をかき出す。はじけていないイガは棒でこじ開け、実りきらない白いのを生でかじった。拾った栗は、日あたりのいい縁側のゴザに広げられた。たいていは皮のまま茹でて食べるのだが、形がいい物はお正月用に皮をむいて砂糖煮にした。皮をむく母の手もとを見ているのが、私は好きだった。母はいつも忙しかった。じっくり語りあった記憶がないが、仕事をする傍らで短い話をいっぱいしてきたのだと、今にして思い当たる。
思い出の中の晩秋の光景は、豊かで深い。錦に染まった山があり、高く澄んだ空と、空いっぱいの赤とんぼ。稲刈りが済んだ田んぼがゆったりと広がり、人も大地も深い吐息をつく。それは、収穫が終わったと言う安堵と、さあ冬支度だぞと言う決意の表明だ。子どもたちは、忙しい大人のそばで、邪魔にならぬよう遊んだり、一緒に冬支度の手伝いをした。信州では、大きな樽に野沢菜を漬け込むのが、秋の最後の仕事だった。
「風の神と子ども」という昔話がある。お堂で子どもたちが遊んでいると、見たこともない男がふらりとやってきて、「なしや柿がいっぱいなってるとこへつれてってやるぞ」と言う。男は尻から尻尾のようなものを出し、そこに子どもを乗せてこうこうと空を駆け、どっさりと果実が実ったところに連れて行く。散々食べて一緒に遊んでいるが、日が暮れると、男は子どもたちを置いてふいっといなくなってしまう。子どもたちが泣きながら明かりの見える方に歩いて行くと、ぼたぼた太ったばあさまが出てくる。「こりゃ、おらとこの、南風の仕業だな。ほんにきまぐれでしょうがない。おらは、風の神の親どんだ。じきに、おらとこの北風にお前らをおくらせるから、案じるな」
 そして、風の神の親どんは、白いご飯とふうふうの熱い豆腐汁をご馳走してくれる。子どもたちは北風の尻尾に乗って、村に帰っていく。
 何と言うことのない話だが、語る人も聞く人も、ほっこりと幸せな気持ちに包まれる。自然と人とがいいバランスで暮らしていた頃、こんなことが起きたのではないか、ふとそんなことを思わせてくれる昔話だ。
自然の脅威が擬人化され、鬼や山姥、河童や海坊主になった。昔話の中で、彼らはたいてい怖い存在として語られる。人をさらって食ったり、作物を荒らしたり、村を破壊したり。自然を畏れ敬う気持ちが強ければ強いほど、山姥や鬼は恐ろしいものとして語り継がれてきた。だが、自然は人を苦しめもするが守ってもくれる。人を包み込み、生きる力を授けてくれるのもまた、自然なのである。
優しい山姥、宝を授けてくれる鬼、とぼけた河童の存在は、自然の懐の深さをあらわしているのだろう。
自然が人を包み込み守ってくれるなら、人もまた、天や地に礼を尽くさねばならぬと思う。山や川を、美しく手入れして守っていかねばと。〈自然との共存〉が、当たり前にできていた頃の懐かしい昔話をひもときながら、そんなことを思った。

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