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洋楽にハマッたきっかけは、「ヘイ柔道」だった(笑)

 あれは中学1年の時。1972年(昭和47年)の秋のことです。都内の私立中学校に通っていたわたしは、秋に催された学園祭で、学校のブラスバンド部の演奏を聴きに行ったのでした。いっしょに行ったのは、小学校からの友達で、こいつはうらやましいことに音楽の才能があり、ピアノを弾いたり、中2の頃からはけっこう自分で曲を作ったりするような奴だったのです。だから音楽についても、そのときすでにかなり詳しかったのでした。

 そして、ブラスバンドが演奏していた曲の中に、あの印象的なリフレインがあったのですよ。そう、ビートルズのヘイジュードの最後のコーラス部分のリフレインなのです。このメロディがすっかり気に入ったわたしは、隣の友達に、「これ、なんて曲?」と聞いたのでした。

 すると、お前これ知らないのか? という感じの顔をされて、
「ビートルズのヘイジュードって曲」と教えてくれたのでした。このとき、学校のそんなに大きくない講堂で、ブラスバンドが一斉に音を出すものなので、それなりに大音響だったのです。なので、彼の言葉もはっきり聞き取れなかったのですね。何とか「ビートルズ」というのは聞き取れました。これがイギリスの音楽グループだという知識くらいは何となくあったのですが、まだ意識してその音楽を聴いたりしていなかった頃です。そして、明瞭に聞き取れなかったため、そのとき本当にわたしには「ヘイ柔道」と聞こえたのでした。演奏が終わった後も、なんかビートルズの事をこれ以上聞くと、また馬鹿にされそうだったので、その場は何も聞かずにわかれました。ただ、このときから、ずっと「なんでビートルズが柔道の歌うたうんだよ」という、大きな?マークが頭の中をぐるぐるしていたのでした(笑)。

 ちょうどこの頃、中学生の間では「ラジカセ」なるものが流行っていて、かくいうわたしも流行にのって、中学の入学祝いとしてラジカセを買ってもらい、持っていたのでした。でも、その頃特に音楽が好きで、どうしてもラジカセが欲しかったわけでもなく、何となくハヤリのアイテムが欲しかったという単純な理由でラジカセを買ってもらったワケなんです。だから、まだそんなに好きな音楽なんて無かったのですね。

 当時、テレビの音楽番組といえば、演歌か、ムード歌謡とアイドル歌謡曲が主流で、フォークシンガー的な人はほとんどテレビには出ないし、ロックみたいな音楽が、テレビの普通の音楽番組で流れることもほとんど無かったわけです。

 それでも、日本でも洋楽が人気になりはじめていて、どこのテレビ局や番組名は何も覚えてないのですが、日本人の歌手が洋楽をカバーする珍しい音楽番組があって、それはときどき見ていました。この番組によく出ていたのが、和田アキ子や西城秀樹、野口五郎あたりだったと思うのです。そしてその番組でよく和田アキ子が歌ってたのが、この曲でした。チェイス(Chase)の黒い炎(Get It On)。

 たまたま和田アキ子が歌ってる動画がありました。ホント久しぶりに見ましたが、やっぱり上手いですねえ。(もちろんこの動画はかなり最近のものですよね)

オリジナルはこちら

 あと、当時日本でも大ヒットして、よくラジオでかかっていた、こんな曲。スリードッグナイト(Three Dog Night)のオールド・ファッションド・ラブ・ソング(Old Fashioned Love Song)なんかも、ビートルズに出会う前に聴いていた曲でした。

 まあ中学入って、ラジカセ買ってもらって、ラジオでこういう曲が流れるのを何となく、無目的にカセットテープに録音してたのですが、まだ決定的に自分が洋楽が好きだという感じにはなってなかったのです。

 ところが、このときのヘイジュードは刺さりました。これを聞いて以来、とにかくビートルズをひたすら追い求める中学生活が始まったのです。ラジカセをフル活用してビートルズ特集をやってる番組を渡り歩いて、エアチェック(死語ですかね? 当時ラジオで流れる曲をテープに録音することをこう言ってました)にいそしんだわけです。こうしてほどなく「柔道」の誤解もとけました(笑)

 このとき、どこから入手したのか、もう覚えていないのですが、わたしは1冊のビートルズガイドのような冊子を持っていました。レコード会社が販促で作った冊子ではないかと思うのですが、ここに、ビートルズの全曲リスト(当時オフィシャルで入手可能なすべての曲目リスト、たしか200数十曲だった)がついていたのでした。これを見て、「この曲を全て集める!」という目標をたてて、エアチェックした曲に赤鉛筆で印を付けて(当時ラインマーカーみたいなものはまだ発売されていなかった…)コレクションをはじめたのでした。

 ところが、ラジオでかかるのは有名な曲ばっかり。ラジオに頼っているだけでは、全曲を集めることなどとうてい無理だということがすぐ中坊にもわかるわけです。ここではじめて「レコードを買わなければならない」という使命感に燃えはじめるのですが、当時LPレコードはすでに2000円以上、たしか2200円か2300円くらいしたと思います。月の小遣いが500円とかの中坊が、頑張っても1年に買えるLPレコードの枚数などたかがしれてます。YouTubeはおろか、貸しレコード屋というのもまだ影も形も無い時代。とにかくLPレコードを買わなければ自分のビートルズライブラリが増えていかないのです。

 この当時、わたしのまわりの同級生には、先ほどの友達も含めて、すでに洋楽を聴いていた友達が結構いました。時代的に、エルビス・プレスリーがハワイのコンサートで久しぶりに復活し、カーペンターズは日本で大ヒット。ブリティッシュロックといえば、エリック・クラプトン、レッドツェッペリン、ディープパープル、クイーンなんかが次々とニューアルバムを出していた洋楽黄金時代です。その後けっこうそういう友達とはLPレコードの貸し借りをして、テープに録音したりするということをやっていたのですが、このときビートルズだけは「全部のアルバムを自ら所有したい」という欲求に突き動かされ、LPの貸し借りはせずに自分で1枚1枚アルバムを買うという茨の道を歩むことになるのでした(笑)。


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