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愛着障害タイプの嫉妬スタイル

前回、依存度が強い人ほど激しく嫉妬しやすいと書いたけれど、依存度というのは経済的なことだけじゃなくて、むしろ愛着という形での心理的依存度の方が大きな作用をしているケースが多い。

ただし、一口に「愛着」と言っても別にその時々の相手というかパートナーだけの問題ではなくて、大体はその人自身の生い立ちによって、すでにそのパターンが出来上がってしまってるんだよね。

愛着スタイルには、大きく分けて安定型と不安定型とがある。
幼い頃に順調に親の愛情を受けて育った人は安定型、そうじゃなかった人は不安定型の愛着スタイルになりやすい。
みんながみんなそうってわけではないにしても、幼い頃の愛着関係っていうのは結構跡を引きやすくて、下手すると一生涯ってことにもなりかねない。

この不安定型の愛着スタイルの持ち主は、特に嫉妬心を持ちやすい傾向があって、それが激しい怒りになって現れ がちなんだけど、 非常に残念なことに、その怒りを相手との関係を壊してしまう方向へと使ってしまう。
つまり、本来は、相手との関係が壊れることを恐れるあまり嫉妬心を起こしているというのに、実際には思いっきり自分の方から相手との愛着関係をぶち壊していくような逆効果しかない言動を弄したり、強引に相手を無視して関係を断とうとしたりする。

こういう破壊的な作用しかもたらさない怒りのことを、「非機能的怒り」と呼んだりしてるけれど、これが怖いのは、そういう人は、その後の人間関係においても、愛着を持とうとしてはちょっとしたきっかけで逆に自分の方から何もかもぶち壊してしまうようなことを繰り返していくっていうことだ。

そのために、相手よりもむしろ嫉妬する本人の人生が崩壊していく方向にへとどんどんどんどん落ち込んでいってしまう。そうやって誰かを恨むこと、自分の不幸を誰かのせいにすること自体が逆説的な「生きがい」になっちゃう。

一方、安定型の愛着スタイルの人たちは、誰かに愛着を持つ場合も、たとえそこに思い通りにいかないことがあったり現実に誰かの言動がきっかけで落ち込んだりしても、なんとか自分の知恵や工夫でそれを逆手にとって乗り越えようとする陽性エネルギーがある。
要するに、人間関係においてちゃんとした主体性を持っている。

反対に、不安定型の愛着スタイルの人たちは、自分次第で運命は変わるということがよく理解できなくなっている。何しろ、嫉妬や恨みや怒りにだけ自分の全人生のエネルギーを奪われているので、主体的な逆転の可能性はない。自分の不幸は全て誰か他人のせいで、それを恨むしかできない。

ただ、本人もどこかでそういう自分の在り方・生き方に矛盾を感じていて、その矛盾に耐えきれなくなったり、はっきりと意識せざるを得なくなりかけると、一気に精神的な崩壊をきたして、例えば認知機能に障害が起きて現実を認識する能力がなくなったり、あるいは精神を病んでしまって妄想や不安定な精神状態の中でどうにか生命だけは保っているということになりかねない。

こんなふうに言うと、すごい極端な世界みたいに聞こえるかもしれないけれど、実際のところ、今の世界の多くの文化圏の中でこういう一生を送る人たちの数が比率的にどんどんどんどん増えていっている。 だから、これはもう社会的な精神病理と言ってもいいかもしれない。

でも、それだけにせめて自分や自分にとって大切な人たちだけでも、この社会的精神病理から自らの精神を護っていってほしいと思う。
だから、嫉妬とか、恨みとか、羨みとか、そういう負のエネルギーしか もたらさないような脳内システムはできるだけ早く捨ててしまったほうがいいのは確かだ。

もちろん、それは言うほど簡単なことじゃないし、一旦出来上がってしまった脳内回路を捨てるということは自己防衛メカニズムを壊すということでもあるから、怖いと言うより恐怖に近い感情を伴う。
なので、それなりの覚悟と優れたアドバイザーがいないと危険だろうけど、嫉妬心や恨みに囚われるあまり不幸感から抜け出せないままでいる人たちは、一応この心のメカニズムだけは知っておいてほしいと思う。
そうすれば、いつかふっと自分を変えるきっかけを掴めるかもしれないから⋯⋯。



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