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リビングルームに作りたい思いがある人が来るから、アトリエになる。

先週、友人の恵子さんがかわいいお子さん2人を連れて、訪ねてきてくれました。水彩画をやってみたいとリクエストがあったので、わたしがいつもやっているシュタイナー教育の三原色のにじみ絵をみんなで体験してみました。

5人分の机や画材を並べると、自宅の小さなリビングルームが、あっという間にアトリエに大変身。先月はみおちゃんも絵を描きにくれたのですが、お家に絵を描きにきてくれる人がいて、ここが創造の場になるのはとても嬉しい。

わたしはこのリビングルームを生活と地続きの「何かを思いついた瞬間に誰かと一緒にすぐ形にできるアトリエにしたい」という願いを持っている。だから、今まさに何かを生み出したいという思いを持った人がこうして遊びに来てくれるのがとってもとっても嬉しいのでした。

さて、今回はどんなモチーフにしよう。
ずっと考えていたら、ふと、シュタイナーの学校で9歳になるときに描く課題を選んでみようと思い立ちました。↓9月に描いたものですね。

ここ最近、娘の歯がぐらぐらし始めたのがきっかけで、「9歳の危機」という言葉についてよく考えるようになりました。シュタイナー教育では、9歳という年齢を「ルビコン川を渡る」と表現します。ルビコン川とは、ローマ時代、カエサルが渡った川。ルビコン川を渡るとは、「もう後には引き返すことのできない川を渡る」ことを意味します。

9歳という年齢は、とても特別な年齢です。この頃になると乳歯は全て生え変わり、大人の歯になります。心拍数・呼吸のリズムも大人と同じものになっていきます。これまで幼児だった子どもが、大人に向かって、川を渡るのです。それは同時に、幼児期のファンタジーの世界と一度お別れをすることでもあり、この地上に根を下ろすという一つの大きな転機でもあります。9歳は、大人になる誇らしさとちょっと切ない気分の間で揺れる、そんなとても微妙な年齢なのでしょう。

実は、絵を描いた前日、「9歳の自分」というテーマで十牛図のワークを行いました。実際のロープを使って、今の自分(牧人)と9歳の頃の自分(牛)という設定で、思いっきり引き合うのです。ワーク自体はとてもシンプルですが、これが効果的面。9歳当時の自分と、今の自分との間にある葛藤や、当時の体験や思いが体を通して今と繋がって来ることがあるのです。

ヘトヘトになるまで引き合う。

瞑想などでイマジネーションを深め、絵で表現するワークももちろんいいけれど、こうやって体丸ごと使ってワークしてみると、記憶のとても深いところに繋がる瞬間があります。大人と比べると、小さな子どもは言動と行動がフィットしていることが多いのだけれど、それは彼らがいつも体を丸ごと使って物事を体験する機会が多いからなのかもしれないなと思いました。

「大人こそ」こういう疲れるまで全身を使ってワークしてみるというのが実は大事なのかもしれません。

パパ牛を捕まえる娘牧人、強いです!

ちなみに、このロープを使った十牛図のワークは以前に、定期開催しているBody workクラスでもやりましたが、全然違いました。どんなテーマに設定するか、そのグループが共通して抱える思いなどの違いによって出てくるものが異なるというのがとても興味深い発見です。



時を戻して。そんなアクロバティックな前日を経て、この日は子どもたちを交えながら色で9歳の世界を表現していきました。

光と闇が生まれる。
その人にとっての光。その人にとっての闇。
その下に大地ができ、人が降り立つ。

ルビコン川の渡り口に立つ子ども、かつて渡った大人、そして今まさに渡ろうとする子ども。それぞれが表す「どのように自分がこの地にグラウンディングしているのか」が本当にその人その人の在りようを表していてとても感慨深く、何よりそのプロセスが美しかった。

その後は以前住んでいた里山エリアに出掛けて、みんなで美味しいご飯を食べて、おしゃべりをして、いっぱい遊ぶというまるで遅くやってきた夏休みのような時間を過ごしました。コロコロと小さな子熊のように転がって遊ぶ子どもたちをみて、時にヒヤヒヤしながらも、子どもが子どもを満喫してくれるから、わたしたちは安心して大人をやってられるんだなと思った。逆もまた然り。大人が大人を満喫しているから、子どもは安心して子どもをやっていられるんだなと思った。

このリビングルームも。
創造し、生み出したいものを持つ人がいて、こうして訪れてくれるから、アトリエになっていくのだなと思う今日この頃です。

十牛図のワークで皆で作ったアート作品。

生きていく場、暮らしの場、すべてがアトリエになりますように。いただいたサポートはアトリエ運営費として大事に活用させていただきます!