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記事(プロフィール)

少しでも自分を知ってもらえれば良いなと思います。



①基本情報

篠崎颯太(Shinozaki Souta)
26歳(♂)

大学の卒業旅行の写真

出発前のスーパーの買い出し中、無意味に顔出ししている


②経歴

2015年 ~ 2020年 東京理科大学 応用生物科学科

2015年に大学入学し、1留したのちに卒業。ラブホテル清掃の夜勤による昼夜逆転生活と、大学に馴染めない孤独で、鬱っぽい傾向があった。

1年から3年時は、ほとんど覚えていないが、軽音サークルでギターと歌をやって、作曲とかしてたと思う。たくさん寝てた。

1回目の4年時に青井硝子の「雑草で酔う」に出会い、人生が変わる。セージやローズマリー等のハーブについて自分で調べるようになった。この頃は、鬱で特に最悪だった。ほとんど寝たきりでネットを徘徊する日々を過ごした。

この方に人生を曲げられました。

2回目の4年時には、脳神経系の研究室に配属された。5番目に希望していた研究室だった。まともに学校に通っておらず、GPAが1.0くらいだったので、全く選ぶ権利は無かった。しかし、ここでの勉強が今の仕事に活きているので、勉強しておいて良かったと思う。

配属直後に、院進学か就活かの2択があった。元々、昆虫が好きで生物学科に入っていたので、昆虫に関する研究をしてから社会に出ようと思っていた。

この頃、鱗翅目(蛾と蝶)の翅の模様の多様性に興味があった。研究室を探してみると、アゲハチョウの擬態に関連する翅の模様の研究を行っている研究室を見つけた。

イボタガ

蛾は良いぞ

ここまで3年くらい、ベットに寝ながら不思議.netを見るような生活ばかりしていたせいで、かなり無知だったので、4月上旬から8月上旬の院試終了まで毎日勉強ばかりしていた。鬱もなかなかひどかったので、自死が常に選択肢の一つだった。気合いで乗り切った。

学生の頃に入り浸った2chのまとめサイト

なんとなく院試に受かり、9月頃からは卒業研究をしていた。自閉症に関連する研究を行った。マウスから脳を取り出し、脳を薄くスライスして、1枚ずつin situ ハイブリダイゼーションして、脳スライスを前から順番に並べて、自閉症に関連する遺伝子の脳内での3次元局在を確認した。

先輩(元同級生)と似たようなことをしていたので、金魚のフン的な感じで研究していた。研究室で人間と触れ合ううちに、少しずつ鬱が寛解していった。

なんとなく卒業研究を終えて、2020年4月から院に進学した。


2020年 ~ 2022年 東京大学大学院 先端生命科学科 修士課程

アゲハチョウの擬態の研究を行った。研究自体や、研究用の蝶を育てるのは好きだったが、研究室の優秀さや、真面目な雰囲気に馴染めず、適応障害っぽかった。

研究と全然関係ないキタテハ

研究は、RNAiで擬態に関連しそうな遺伝子の機能を抑制して、翅の模様の変化を観察したり、RT-qPCRで遺伝子発現量を確認したり、RNA-seqで擬態に関連しそうな遺伝子を探したりした。かなり最先端なことをしている上、みんな優秀。自分の無知が露呈するたびに「こんなんも知らんの?」的な空気になる、スパルタな雰囲気だった。

研究室で唯一仲が良かった、中国人留学生の劉くんと励まし合いつつ、何とか乗り切った。劉くんから英語のコミュニケーションをかなり学んだ。

生物系の研究棟は中国からの留学生が多かった。東大に来る中国人は、当たり前のように流暢な英語を話し、最先端の研究を理解する。マジで賢い。

こんな生活で、研究することがどういう事なのか、なんとなく分かったと思う。

研究をうまく進めるためには、まず健康なアゲハを育てることが相当重要だった。世話を2日以上怠ると、健康に支障をきたすので、週6回の通学を強いられた。誰かに世話を頼まないと、土日のどちらかに通学せざるを得ないのがかなり厳しかった。

一部の実験は、前蛹が蛹になってから30分以内に行う必要があった。そのため、スケジュールは、アゲハの成長具合にかなり支配されていた。アゲハは、自分の状況など構いなしに蛹になるので、忙しい時期では、5~6匹の前蛹が蛹になるのを待つために、徹夜で研究室に留まるのがデフォルトだった。

ナミアゲハの前蛹
ナミアゲハの蛹

前蛹が蛹になるのをひたすら待つ日々だった。

なんやかんや蝶に触れて実験すること自体かなり好きだったので、なんとなく楽しみつつ徹夜していた記憶がある。

2年時には院進学か就活か、かなり迷っていて、中間審査でボロクソに叩かれたことをきっかけに就活しようと思った。

虫が好きなので、殺虫剤の会社で虫の研究しようなど、安易に考えていたが、その時すでに6月だったので、まともな求人は無く、諦めた。

虫の研究しないなら何をしようと思った結果、その時少し流行り始めていたCBDにしようと思った。2021年頃で、アメリカはグリーンラッシュに沸いている時期だったと思う。雑草で酔うのおかげで、カンナビスには一切抵抗が無かった。何よりも、カンナビス一般化の流れが、一過性の風潮とは思えなかった。

2021年の7月から、OFF株式会社にインターンとして加入する。7月から3月の卒業まで、平日は大学院生、土日はインターン生の地獄生活を送った。

特に、修士論文発表と仕事が重なっていた2022年の1月はかなり最悪だった。平日は足りないデータを取って、徹夜で修論を書きつつ、土日に仕事するといった内容の地獄生活だった。

適応障害も最悪で、修論発表の山場では、研究室に行きたくなさすぎて、駐輪場で過呼吸を起こすほどだった。

そんなこんなで最悪の時期は乗り越えた。スパルタ教育のおかげで、修士論文特別奨励賞を受賞できた。

タイトルは「スーパージーンにより制御されるシロオビアゲハのベイツ型擬態の分子基盤に関する研究」。修論は総合2位だった(惜しい)。

筆頭著者ではないが、自分が行ったことに関する論文が出ている。


2021年 ~ 2023年 OFF株式会社

インターンを終了し、大学院修了とほぼ同時にOFF株式会社に入社した。

OEM部門を立ち上げ、CBD商品の開発や、エビデンスの提供などを行った。tokyo mooonのベイプとオイルを開発した。

人に出せる商品のレシピを考えて大量生産する事業を0から構築するという感じだったので、かなり試行錯誤して失敗した。失敗しているうちに何となく物作りの流れや、コツをつかんだ。

仕事内容には基本的に満足しており、日本社会のことを多く学んだ。さまざまな人との出会いもあったので非常に感謝している。

個人でブランドを立ち上げたり、自由に商品開発を行いたい思いが強くなり、8月末で退社する事にした。


2023年 ~ 個人事業主

実質無職ですね(笑)とても気持ちが良いです。
開業届など出したが、今のところこんな気持ちで居る。

23年の8月末で仕事を辞めて、すぐにアメリカに飛んだ。外貨を得るために海外でもコネクションが出来れば良いと思っている。なんか区切りが良くてタイミングも良いかなと?完全にノリです。

個人事業主としての活動が知りたい方は、以下のnoteをご覧ください


③していること

CBDブランドの運営 saw CBD store 


ヤードムブランドの運営 yadom lab.


絵描き


昆虫標本の作成


作曲


音楽紹介


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