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#26 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~

銀河の犬と水玉

 1年のうちに短い日数しか咲かない曼珠沙華。
 その季節に私はジュビ子を見送った。
 去年の庭の風景は刹那的に記憶に残り、モノクロームであり、鮮やかなカラフルさでもあった。
 スローモーションのように流れるその景色は、曼珠沙華が1番永く咲いた年だと私の記憶に残る事だろう。
 あんなにも庭の曼珠沙華を眺める時間を持ったのはきっと最初で最後だと思うから。
 私が思っている以上に、宇宙から来た運命の銀河の犬は、私に沢山の水玉を見せてくれた。
 それぞれの中に起きた出来事、パラレルワールドのように違うバージョンで、タラレバの世界も含めて、シャボン玉の中に閉じ込めたように、水玉になってふわふわ浮いている。
 漂う私は為す術もない存在ではない。
 いつだって、どの水玉を選ぶのかは私が決められる。
 手にした水玉が抱えきれないほど重く辛いものならば、他の水玉を選ぼう。
 いつだって軽やかに、自由に。
 全ては自分が決めること。
 全ては自分の手の中に。
 これからは希望の水玉を手にする。
 どの水玉が良いだろう?
 何色に輝く水玉だろうか?
 失敗も間違いも全ては必然で全ては必要なプロセスに過ぎない。
 恐れないで、前に進もう。

 曼珠沙華。
 古代インド語で天上の花、吉兆の兆しと言う意味を持つ。
 天上の花の中でジュビ子は
 生きる事と死ぬ事を
 私に見せて教えてくれた。
 自らの生命を使って教えてくれた。
 今年の9月27日も
 庭には紅白の曼珠沙華が咲いたよ。
 ジュビ子を見送った日の青空のように真っ青な空の中、雲がサークルを描いて中心の穴の中に私がいたよ。
 ジュビ子は楽しそうに雲の間をぴょーんぴょーんと飛び回ってるんだろうな…と思ったら、涙なんて1粒もない一周忌になっていた。
 悲しさや寂しさの無い、
 ワクワクした希望でまた逢えるのを待ち焦がれている私に映った曼珠沙華は紛れもなく「吉兆の兆し」の花へと変わっていた。

 私のたった一つの後悔は
 ジュビ子が病の身体になって、もう私を支えられないと思わせてしまっていたこと。
 ジュビ子が私に教えてくれたように、私のように何も出来ない身体でもジュビ子が私を必要としてくれたように。
 病の身体のジュビ子だって、最期まで私の支えで居てくれていたよ。
 そして今もこんなに支えて貰っているよ。
 だから次に出逢う時にはジュビ子にもそれを知ってもらえるように、気づいて貰えるように、また一緒に生きようね。
 あの暖かいモフモフの君をもう一度抱きしめる日が来る事を楽しみに待っているからね。

ジュビ子からのメッセージ

 あなたがそこにいる(存在する)大きな意味がある。
 生きているだけで、存在しているだけで、
満たされる魂がある。
 自分の存在価値を見つけられない人間は山ほどいる。と言うか、この世の中ほとんど。
 病気を理由にしちゃいけないよ。
 病気を逃げ場にしたらいけない。
 心穏やかに生きているだけで
 素晴らしい価値がある。
 魂を満たす意識をして欲しい。



 ……病気を理由にしない。病気に逃げない。
それは、私達の病気の患者にとっては無理解な人達から投げられてきた詐病扱いの言葉が多数だった。
 でも、今のジュビ子のその言葉は、その人達の言葉と同じ意味では無いことを私は知っている。

 確かに安静にしていなければいけない病気で、
ほんの少しの活動が命取りになる。
 けれども私は今までも、その後の数週間寝たきりになる覚悟で参加したイベントを一つも後悔していない。
 そして、そこで貰ったエネルギーはとても大きなパワーになっていた。
 病気だから出来ない・無理だろうと諦める事をせずに、工夫して抜け道を探して何とかやりたい事をやりたい!とやってみる事。
自分らしく生きる事。
 小さい事、無駄な事など何も無いこと。
 全ては幸せに繋がる道の途中に過ぎない。
 その真実の強さを教えてくれた君にも、
今度は私が与えられる人生を。
 もう一度始まる新しい物語には、きっと喜びに溢れる曼珠沙華が咲き誇るだろう。
 たった一つの曼珠沙華にどんな意味を持たせ、映像を持たせ、色や香を持たせ、表情を持たせるのかは見ている自分だけが決めること。

 この世界の全ては自分が決めることである。


       ——2020年9月27日


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