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給食の味噌汁とあのCMソング

黒板の上には、横長の白い紙に達筆で「きゅうしょくはぜんぶたべましょう」と書かれていた。1か月ほど前までは「にゅうがくおめでとう」と書かれたピンクや水色の紙の花で飾り付けた紙が貼ってあったはずた。

他の児童たちは帰り支度をはじめていた。けれども、私は教室の真ん中でうつむいていた。いや、もしかしたら教室の端っこだったかもしれない。正直なところ、私の席が教室のどこにあったのかは関係ない。世界の真ん中で、一人ぼっちになった気分だったのだ。

視線の先には、冷めきった給食の味噌汁の入った白いプラスチックのお椀が置かれていた。味噌汁の量はよそってもらったときとほぼ同じだった。変化があったとすれば、もう湯気が立っていないことぐらいだ。


給食の味噌汁が大嫌いだった。とくに「けんちん汁」の日は地獄だった。


1980年代の半ば頃、給食は残さず食べるものだった。食べれない児童は、教師の時間が許す限り残された。給食を見つめながら、昼休みが終わってしまうことさえもあった。

今なら行き過ぎた指導だとか、虐待だとか騒がれるだろう。けれども、誰もそんなことは言ってくれなかった。その当時は「完食」が当たり前だった。もちろん、大人にとっての当たり前だ。

現代の小学生にとっての虐待は、1980年代の小学生にとっても虐待だとおもう。けれども、6歳か7歳の女の子は「虐待」という言葉を知らなかった。その当時の教師は、今よりも力を持っていた。

親も味方ではなかった。家でも食卓に並べられたものは、黙って食べるというのが暗黙の了解だったのだから。モンスターペアレント?いてほしかったよ。誰でもいいから助けてほしかった。


私は幼くして気づいてしまった。「手を差し伸べてくれる人はいない」ということを。だから、自分の力で何としてもお椀を空にするしかなかった。幼い私は目をつぶって、頭の中であのCMソングを念仏のように繰り返した。

「おいしいおいしさ~、やかたのケ~キ♪」
「おいしいおいしさ~、おいしいおいしさ~」

味噌汁の味が「無」になるような気がした。


私の家は大都市から遠く離れていた。「館(やかた)」というケーキ屋は地元にはなかったが、CMは毎日流れていた。今となっては、どんなCMだったかは覚えていない。けれども、あの歌だけは鮮明に覚えている。幼い私は嫌いなものを食べるときは、いつでも「やかたのケーキ」の歌をエンドレスに脳内再生していた。

大人は自分の食べたくないものは、基本的に食べなくてもよい。それでも、ときどき嫌いなものを食べるときには、幼いときの私と同じようにあの歌のお世話になっている。

味噌汁は飲めるようになった。けれども、あれから何十年も過ぎているのに、味噌汁を見ると嫌な気分になることがある。

もし子どものときの私に会うことができたら、大人の私から伝えたい。

「もう無理して食べなくてもいいよ」と。

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