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「辛くない」は大嘘だけど④〜自暴自棄、踏み込んだ進路〜

いやはや、随分と間が空いておりますが、読みかけの本を消化してみたり、デジタルデトックスをしてみたり、なんやかんや元気にやっております。

さて、今回は高校入学前から覚えている範囲で…というイメージでやっていきたいのですが、どうやって書いていこうかと、こうしてスマホで打ちながらもまだ定まっておりません。へへ。

変わらぬ駄文となる予感でございますが、よろしければお暇つぶしにどうぞ。

突然の進路変更

繰り返しになるかもしれませんが、私は丸っと2年間の不登校を経ての高校受験です。
加えて、家で受験だなんて話題が出たことはない私には、受験に関する知識も無い。

何がわからないかさえもわからないレベルの私。

それをどう伝えていいのかもわからないし、伝え方を間違えるたびに傷つくことも当たり前。
「それくらい自分でやらないと」とまるで知ってて当たり前のようなマインドに翻弄されました。

そんな右も左もわからない状況を私なりに四苦八苦してみたものの、結論として「通学」という壁にぶち当たり、出願直前に、以前姉が通っていた某通信制高校へ進路変更をしました。

しかし、あまりに突然の変更で担任及び支援の先生から「こんなギリギリに変更なんて、社会じゃ許されないのよ!」だったり、「(私)のような障害児が入学する旨をすでに学校側に伝えていたのに!」などお叱りを受けて、限界をすでに迎えかけていた私は見事に撃沈。その時の心境はもはやあまり覚えておらず、とにかく友達に愚痴って泣いたことくらいしかほとんど記憶にありません。

覚えていることといえば「どれだけ頑張っても結局いつも足が邪魔をする」「こっちだって必死にやってたのに」なんていう怒りと悔しさくらいです。

どんな選択をしても食らう、あちらこちらからの板挟みやお叱りに「もうほっといてくれ」とも思っていたような…?

そんなことがありながらも、当時も例外なく母は仕事だなんだとドタバタ動き回っておりましたから、通信制高校入学に必要な面談に行く時間すら確保できず、結果として中学の担任に協力を仰ぎ、学校にお邪魔しました。

それからしばらくして面接を受け、無事入学資格をゲットし、教科書が届くのを待っていました。

しかし、ここからの1.2年のほとんど、「勉強」や「学校」に関する記憶がほとんどございません。ほんとに覚えてないんですよね。不思議なもので。

もう一度動き始めた歯車

じゃあ何を覚えとんねん、といいますと、それが本来③にてお話しようと思っていた、ドラマ コウノドリについてに繋がっております。


この先、コウノドリのネタバレを含みますので、ご注意ください。

入学当時の私は、家もついに離婚して、通学という日常生活さえひとりでは許されなかったのだから、もっと大きな夢なんか叶うわけない…と、唯一自分が見つけた声優という夢(=生きる理由や希望)を突如として粉砕されたような心地で、大好きだったアニメを見ていたら、悲しいシーンじゃなくても勝手に号泣してしまうほどでした。
じゃあ見なきゃいいだろうとも思うかもしれませんが、当時の私にとって、声優やアニメ以外に現実から気をそらせるものは「音楽」しかなかったんです。しかし音楽だと耳からの情報しかないので、気が緩んでしまうとすぐに辛くなるといった具合。何か筋書きのある、それに集中できるものじゃないと無理だったんですよね。

そして「形を変えればいけるんじゃなかろうか」
そんな安易な考えからドラマに手を出してみました。

最初は「あぁ、声優なら声だけ(ザックリ)のお芝居だけど、俳優さんなんて全身でお芝居するんだもんな…」と辛くなりながらも、それ以外に道はないので、ドラマを見漁っていました。

今思えば、全身を使うという点で、私には到底できることではないですから、ある意味での諦めがその当時の自分にとってはつきやすかったのかもしれません。

そんなとき、すごく気にかけてくれていた友人が「ドラマならコードブルー見てよ!」とおすすめしてくれて、そこから私の「医療ドラマ」というジャンルへの好奇心が芽吹きました。

そうやって隙あらばドラマを見るような生活を送っていても、どこかでは常に、心にポッカリと穴が開き、言いようのない孤立感というか、疎外感や虚無感を覚えていました。

そんなときふとコウノドリの存在を思い出したんです。正確には「障害者のお母さんの話」としてでしたが、そこら辺のお話はこちらでもやんわりとお話しておりますので、良ければご参照ください。

某配信サイトで1話を見た私は、綾野剛さん演じる鴻鳥サクラ先生を見てすぐにピンときました。

妊娠出産という生命の誕生のプロセス。
それに伴って起きるトラブルや病気、医師たちの葛藤など、いろんな視点から描いてくれているコウノドリ。

俳優好きとしては、是が非でも、もっとコウノドリを布教したいところですが、今回は割愛…!!!

コードブルーを見ていた段階から、医療ドラマ特有の「希望」に関して、自分自身どこか感化されるものがあったのでしょう。

周産期医療を取り扱うコウノドリでは私が入っていたであろう保育器、NICUが写ることもあり、どこかで「この作品を見れば、もう一度、生きたいと思えるだろうか」という気持ちがありました。

1話で登場する妊婦さんは、搬送されてくるまでの間、一度も検診を受けていない「未受診妊婦」または「野良妊婦」と呼ばれるような方でした。

ネカフェから搬送されてきた彼女は、無事に赤ちゃんが生まれたのもつかの間、またも険しい顔で目をそらしてしまいます。そして後に病院を抜け出しますが、捜索していた鴻鳥先生が彼女を発見した途端、意識を失い、再び病院へ引き戻されます。

お母さんは、倒れる前、鴻鳥先生に「赤ちゃんはどうするんですか、病院にいるんですよ?」と優しく声をかけられても「あの子いらない」と口にしていました。

病院へ戻され、社会福祉士さんなども交えて深く事情を伺ううち、彼女が複雑な家庭環境で育ってがゆえ、育てることに不安があることがわかります。

母になるということに対する不安や、そう簡単に「私が育てます」とはいってあげられはい、お母さんを取り巻く環境。いろんなものがひしひしと伝わってきました。

結局、赤ちゃんは、お母さんの生活の基盤が整うまでの間、乳児院に預けられることに。

そんな結末を迎えたとき、鴻鳥先生は「心」ちゃんと名付けられた赤ちゃんへ、こう言います。

君にはこれから、人よりたくさん辛いことがあるかもしれないね。
けどね、君はいつか…人の倍も、何十倍も幸せになることだって、出来るんだ。
負けるなよ。

ドラマ『コウノドリ』1話より

このセリフを聞いたとき、素直な辛さや苦しさ、自分に対する情けなさなど、いろんな感情が一気に押し寄せてきました。

この物語はフィクションかもしれない。

それでも、私が生まれたときにもきっと、たくさんのお医者さんや看護師さんがいて、もちろん母の葛藤もあっただろう。
今だって母に対していろんなことがあるけど、それでも母は私を育てようとしてくれて、今も育ててくれているのは事実。それなのに、どうしてこんなに死にたいって思ってしまうんだろう。

自分自身が悔しくて、情けなくて仕方ありませんでした。

それでもやっぱり、父が私に対してやってきたことやそれに対する気持ちは一切消えることはなく、矛盾するそれらの感情の中に、やっぱり死にたいはあって、混乱も覚えました。

でもだからこそ、「負けるなよ」という鴻鳥先生の言葉が、とても力強く響いてきました。

ドラマに出てきた障害児

ドラマ版のコウノドリは、シーズン2まであるのですが、私はそれからも何度も泣きながら、コウノドリを見続けました。

コウノドリでは、「口唇口蓋列」や「18トリソミー」など、たくさんの障害や病気が取り上げられています。(ドラマ内で実際のダウン症の子が登場していたりも)

その中に、私が患っている「脳性麻痺」も入っているんです。とはいっても、完全寝たきりの人工呼吸器をつけた昏睡状態の重度な子ですが。

障害を持って生まれたお子さんを受け入れられないご両親や、「障害を持って生まれてくるかもしれないが、それでも出産するか」という問いに葛藤する親御さんは、何度か描かれます。

葛藤すること自体、当然のことだと障害を持っている自分でも思います。

当然のことだと思うからこそ、以前の記事でも書いたと思いますが、当時の私は「育てる」「育てている」母が不思議でした。

私の場合は、障害を持って生まれてくるかもしれないよ、と説明を受けたのかは定かではありませんが、症状を聞く限り、おそらくはそういった覚悟は必要だったと思います。

運良く私は身の回りのことを一人でできますが、そうじゃない子も大勢知っています。

出産前の親御さんたちからしてみれば「障害がどんなものか」はもちろん「それがどういう生活をもたらすのか」さえ未知だと思います。

そりゃ「怖い」に決まっているし「迷う」に決まっている。

コウノドリを見ていくうちに、私は父を知りたくなりました。

母は私を受け入れて、というか…そうするしかないにしても、こうして育ててくれている。

けれど父はそうじゃなかった。
そうじゃないのなら、どこが父をそうさせたのか、それを私は知りたくなりました。

もともと心理学に興味があった私は、自分探しも含め、本を読みながら父の心を探してみたりした記憶があります。

もちろん、私は父じゃないので、真理は何1つとしてわからないですけどね。

それでも「父もこういう気持ちだったのかもしれない」と、許せないまでも、少しだけ自分の中で折り合いをつけていけるようになりました。

私をそうさせた原動力

コウノドリを見た当時は、引っ越したばかりでもちろんこんなことを考える余裕もありませんでした。

ここからは、何故そんな所から「父」を掘り下げることができたのかをお話します。

コウノドリを見終わったあとの私は、持ち前の役者さんへの興味から、星野源さんがエッセイを執筆していることを知りました。

複数冊出版されている単行本を、学校からもらった電子図書カードで即購入。

そうして見えてきた星野源さんの言葉たちをみて、めちゃくちゃ笑ったし、めちゃくちゃ泣きました。

中でも強く覚えている、というか響いてきたのは

死ぬことよりも、生きようとすることの方が圧倒的に苦しいんだ。__(略)
だから死は、一生懸命に生きた人に与えられるご褒美なんじゃないか。
そのタイミングは他人に決めれられるべきではない。自分で決めるべきだ。
俺は最後の最後まであがいてあがききって、最高の気分でエンドロールを見てやるぞと思った。

よみがえる変態 生きる2 より

という言葉。

それまでの自分は、祖母に「なんで自分だけ…とか思っちゃだめよ。あんたは偉いから思ってないと思うけど」とか言われて、悲観してはいけないと言うようなムーブをいつの間にか植え付けられていたのか、「地獄なんて思ってはいけない」とどこかで思っていたと思います。

でも、この本を読んだとき「ほら!!ここはもとから地獄じゃねぇかああああ!!そう思って何が悪いんじゃ!!!」と、考えが180度覆って、とても救われたんです。

そんなこんなで、見れば見るほど、もっとこの人を知りたいと思ったり、綾野剛さんについても知りたい!役者さんが知りたい!と思い、やはり私はお芝居から離れられないんだな…なんて失笑したこともあったり。

でもその地獄だと思っていいんだムーブになってから、心の中だけでも、おらぁ!!とでかい声で叫べる本心があると言うのが大きかったのか

父親との関係性に対して、心でひとり、「やってやんよ…」みたいな喧嘩腰になっていきました。よくわからないけど。

と言いつつ、まだまだスライム状態だった私は、無気力な時間も涙する時間も、悶える時間も鬼ほどありました。

そこはまぁもうくどくど言うのはやめにしまして、元気なときやふとした時にネットや本で情報を収集して、咀嚼して「父にはこういう感情があったのかもしれない」と少しずつ父に対するマインドを変えていきました。

さておわり。
声優オタク、俳優オタクになるの巻

さて、4つも続いた今シリーズ。
私のミジンコ並みの小ささな文章力でどこまで伝わったことでしょう。

ほんとに要約しますと「声優に救われて声優を志した身体障害を持ったひとりの声優及びアニメオタク人間が、受験に親の離婚、自分ではどうにもできない現実に打ちのめされて崩壊したら、今度は俳優にすくい上げられて俳優オタクになりましたとさ」という感じ(???)
あっ、何言ってんだろうって自分でも思ってます。気にしないでください。

こうやって生きてたら、いつの間にか2023年になってました。

記憶、数年だけなのに8割くらい飛んでそう。
自分19歳なの?うっそん。生きてた??くらいな気持ちで空っぽ。

埋まらない記憶のピースがたまにすごく気持ち悪いですが、今年は「一生叶わない」と声優オタク時代から思っていた「舞台挨拶」というイベントに、ひょんなことから参加できたり、その数年を諦めなくてよかったって思える出来事が時々起きて、なんとか元気でございますよ。まぁ悩みや苦悩は消えないですけど、それもまた人間みんなそうでしょう?


このシリーズ、なんの意味があったのか、よく自分でもわかりませんが、なんだかんだnoteが続いているという意味では、意味があった…?

このシリーズを書くに当たって、私は自分が生きてきた道を振り返っていったわけですが、

タイトルにつなげるとするならば
辛くないは大嘘だけど、私は、なんだかんだでこの人生が好きです。

この人生だったから出会えた人たちが、大好きなので。

とはいいつつも、これは私の運が良かっただけにほかなりません。

みんな、生きてる環境も何とかもが違っていて、特に障害を持っていたりすると、モデルケースなんて皆無で、何をするにも開拓していくしかない場合も多い。

だからこそ、「こうやって頑張ればきっとどうにかなります!」と大柄に言いたいわけではありません。そんなの、なんの確証もないし、綺麗事にさえなってしまうかもしれませんしね。

ただ、生きることを諦めるか諦めないかなら、諦めない限り、可能性はゼロにはならない。

生きるのを諦めそうになるくらいなら、
ときには妥協して、逃げて、それでも生きてればいい事もあるかも知れない。その気持ちは忘れないでほしいなとは思います。


今シリーズにおいては、もうあとは番外で「通信制高校について」を軽くお話できればなぁと思っております。

今、不登校とか通信制高校とか、よく話題に出てきますよね。

私の場合は不登校をとっても通信制高校をとっても、健常の子とは少し違う視点かもしれませんが、何かの役に立つだろうか。

こちらもまた、気長ぁにお待ちください。

次回は単発記事として現れるか、シリーズ物として現れるか、まだわかりませんが、


ではまた。

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