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Aさんへの手紙として:資本主義をハックする

(長文記事です。5500文字程度あるようです)
 昨日はとても色々なことがありました。様々な人に様々な形でコミュニケーションでき、良いことも悪いこともたくさんありました。普段の休日の20倍ぐらいの濃度です。いずれにせよお時間頂いた皆様、有難うございました。

 普段からとてもお世話になっているAさんからも「君の話はやっぱり面白い。面白いけど、話が難しい。分かりにくい」ともっともなご指摘をいただきました。昨晩、普段あまり飲まないアルコールをあおって寝ましたが、途中に寝れなくなりこの文章を書いています。

 これはAさんへの手紙として書いた文章でもあり、私の頭の中を整理するために書いているものです。まだあまり分かりやすくなっていませんが、理路が整ってきましたのでより分かりやすいビジネス資料に落とし込むのは明日から行います。

 今から書くことは私が全くの無から考えついたものではなく、むしろ色々な思想家が考えたものの切り取り方です。

 一番影響を受け、かつ読みやすいものを1冊だけ挙げるなら『ビジネスの未来』(山口周著、プレジデント社)です。ぜひオススメなので皆さんも読んでみてください。この記事の「資本主義をハックする」というフレーズもこの本から借用しました。

 少しだけ私の略歴を記載すると、学部生では社会学と社会心理学を学び、社会人として社会思想史や哲学の読書を続け、永田町にある政治学の塾に通い、その後、ビジネススクールでMBAを取得しました。

私がミッションとして掲げる

『100億年後も人類が幸福であるために
今、地方を創生する』

という考え方について書いていきます。

 山口周が『ビジネスの未来』で提言していることは下記の3点で要約できます。

●日本を含む先進国はモノの氾濫する豊かな社会であり、欠乏した社会が目指していた高原にたどり着いた。

●GDPは欠乏した社会がモノを如何にたくさん作れるかの指標であるため現代には適していない側面がある。GDPを重視しすぎると問題点がむしろ大きくなる。

●GDPに代わって、道具的な仕事(インストルメンタル)か、喜び・遊び・労働が一体化した仕事(コンサマトリー)かが重要なる。だからコンサマトリーな仕事ができるように資本主義をハックしよう。

『ビジネスの未来』山口周を元に筆者が要約

 現在を非常に明晰に言い表している提言だと私も思います。また、わかりやすく非常に共感できます。

 GDP重視型の資本主義の欠点は2点に集約できます。

●労働者が過酷な状況に追い込まれる労働問題。

●経済発展とトレードオフで自然環境が破壊される環境・気候変動問題。

 この2つは古くは『資本論』を著したカール・マルクスが指摘していたことでもあり、資本主義の宿命とも言えます。マルクスがこれらの研究をしていたことは下記のWeb記事が詳しいです。

斎藤 幸平『日本人は「資本主義の怖さを知らなさすぎる」の訳
マルクス主義はソ連と中国とはまったく異なる』東洋経済オンラインhttps://toyokeizai.net/articles/-/621240

私がミッションとして掲げる

『100億年後も人類が幸福であるために
今、地方を創生する』

をこれらの単語で言い換えると

『今、および遠い未来も
喜び・遊び・労働が一体化した仕事で
全ての人が労働問題と環境・気候変動問題から解放されるべく活動する』

となります。

 さて、このように言い換えると分かってくることがあります。それは喜び・遊び・労働が一体化した仕事(コンサマトリー)は重要だとしても、それだけでもまだ足りないということです。

 喜び・遊び・労働が一体化した仕事(コンサマトリー)だけでは駄目で、同時に労働問題と環境・気候変動問題への解決に近づいていることが必要条件となります。

 少なくとも、今より解決に近づけるアプローチを想定できたにもかかわらず、別のアプローチを選ぶことはコンサマトリーを言い訳として、結局はインストルメンタルに生きることになります。

 また、どのような生き方が労働問題と環境・気候変動問題の解決につながるかの判断ができない場合は、GDP重視の資本主義のメカニズムの中で大手企業が儲からないことをコンサマトリーの名につられて使役されられている補完物に過ぎない可能性があります。

 やはり、「コンサマトリーに生きよう」とすることは重要でも、それだけでこれまで資本主義が積み残してきた労働問題と環境・気候問題に対してすぐに解決とはなりません。つまり、コンサマトリーを志向するだけでは資本主義をハックしたとは言えないのです。

 ではどうするのか。私は社会をシステムと捉える考え方にヒントがあると考えています。3つの社会をシステムとして捉える考え方を挙げていきます。

 1つめの社会をシステムと捉える考え方は社会学者二クラス・ルーマンの「社会システム理論」です。ルーマンの著作はとてつもなく難しいのですが、入門書がいくつか出ています。一番読みやすいのは『ニクラス・ルーマン入門』(クリスティアン・ボルフ著、庄司信訳、新泉社)です。

 先に挙げた「インストルメンタル/コンサマトリー」という区別の源流はアメリカの社会学者タルコット・パーソンズの考え方にあります。タルコット・パーソンズの本、または解説本は日本では少なく私の手元にありません。もしかするとパーソンズ自身がコンサマトリーに生きようとするうえでどのように資本主義をハックするかのヒントは残しているかもしれませんが、私はルーマンを挙げます。

 ニクラス・ルーマンはドイツの社会学者でアメリカに留学しタルコット・パーソンズの下で学びました。ルーマンはパーソンズの社会システム理論を批判的に継承し、独自の理論を打ち立てました。ルーマンは社会をシステムと見なします。社会はそれぞれサブシステムに分化していきます。このときのシステムという単語が指す意味ですがパーソンズでは機械論的なシステム(均衡システム)であるため、アナログ時計のように分解して1日経ったあとでも正しく組み立てれば機能する構造のはっきりとしたシステムを指します。これを社会学では構造機能主義と言います。

 対してルーマンのシステム論は有機的なシステム(定常システム)であります。人体、臓器、細胞のように人体を分解して1日経ったあとでは細胞は死滅しており、臓器は破壊され人体は元には戻りません。お風呂の栓を抜くと水が渦を巻いて吸い込まれます。水の流れが本体であり、渦はたまたま発生した構造に過ぎません。このような流れが構造を作る、機能が構造を形作るものが社会であるとする考え方を機能構造主義と言います。

 ルーマンは社会が「経済」「政治」「科学」「家族」などのサブシステムとして分化していると言います。経済だと貨幣、政治だと権力、科学だと真実、家族だと愛といったそれぞれのサブシステムに特化したメディアがあり、そのサブシステム内ではメディアの獲得だけが争点になります。

 経済だと貨幣というメディアの獲得だけが争点になるため、株の自動売買はコンピュータが正確に行っていれば人間は不要です。大手企業同士の電子決済もコンピュータ同士が正常にデータをやり取りし、利益につながれば人間は必要ありません。

 このようなシステム観で社会を観察したときに得られる示唆は、大きく2つあります。「自分はコンサマトリーに生きている」と実感していたとしても実は、経済システム自体がもともと持っていた隙間に補完物として入り込んだにすぎない可能性が払拭できないということです。例えば、大手企業や自治体などが利益や手間の問題からやらない、やりたくない仕事に対して「お客様と寄り添える」「生産者の想いを伝える」大切なコンサマトリーな仕事というラベルを貼っている可能性、その仕事を有難がってかつ自覚としてはコンサマトリーに生きることがありえます。本人が満足しているから良いのでしょうか。この事態は、社会学者の宮台真司が雨漏りバケツ問題と名付けたこととほぼ相似形と言えます。

 雨漏りバケツ問題とは社会問題における場当たり的な対応を批判した言葉で、本当の原因は屋根が壊れていることにあるにもかかわらず、応急処置で大きなバケツを持ってきたから安心と根本原因を放置してしまうことです。人間は必ず近視眼的になります。それは社会がサブシステムに分化され、1つのメディアの獲得しか見えないからです。組織も結成されて年月が経ち運営が硬直化し、構成員の年齢が上がるなどで盲点が増えていきます。原理的に、あらゆる視座は盲点を持ちます。

 もう1つの示唆はどのサブシステムでも相手にされない排除された人間が出てしまうことです。マルクスだと疎外と形容したことを、ルーマンは「包摂/排除」の区別で定式化しました。サブシステムは機能的に1つのメディアの獲得しか記述できないため、どのサブシステムでもこぼれてしまった人間を包摂する必要があるということです。この包摂の概念は現代だとSDGsに見ることができます。「誰一人とりのこさない」ことを唱うSDGsは私にはルーマンの思想の具体化に見えます。

 さて、社会がサブシステムに分化し、雨漏りバケツ問題や「包摂/排除」問題をクリアしていくにはどうしたらよいのでしょうか。ルーマンはこれにも答えを出しています。システムが自らを反省し、合理化していくことです。どういうことでしょうか。

 ルーマンの言う反省とはシステム自身が、システムの内部に「システムと環境」を記述することです。つまりはシステムが自分はどのようであり、周りはどうなっているかを語ること、自分自身の内部イメージを作る、ミニチュアを作ることです。

 また合理化とはシステム自身が、システムの内部に記述した「システムと環境」に対してフィットさせることです。

 最高に分かりにくいですよね。ルーマンの「社会システム理論」のみだと抽象性が高すぎて具体的にどのようにしたら良いかが見えにくいもの事実です。

 そこで2つめの社会をシステムとして捉える考え方として「システム思考」があります。例えば『好循環のまちづくり!』(枝廣淳子、岩波新書)が非常に分かりやすいです。「システム思考」社会の状態を循環のループ図で表現します。例えばまちづくりの好循環は「雇用」「人口」「消費力」「地域経済の規模」の4つが正のループでつながり、それぞれが少しずつ増えることで循環がさらに良くなることを示します。

 システムのループ図は非常に強力で、あるべき好循環もすぐに描くことが可能です。同じく今あるまちの課題もループのどこがおかしくなっているかを描き、チームで合意を得ることができます。まちづくり、地方創生を推し進めたいなら「システム思考」は実践的には必要不可欠な考え方です。もし1回だけしかまちづくりのワークショップができないとしたら、このループ図に時間をさくべきです。

 一方、先に挙げたルーマンの反省、合理性の概念は実践的にはどのように使って良いか私にもわかっていないところがあります。だから無価値なのか、と言えばそうではありません。ルーマンのちょと回りくどい機能構造主義だからこそ、「俺はコンサマトリーに生きているから放っておいてくれ」という意見が出たときに、それも結局は大手企業や自治体が残していた罠の可能性もあるのでは、と異議を唱えることができるからです。

 このシステム思考のループ図で自治体が公共施設(図書館、体育館、下水、道路)の運営を民間に任せるPFI/PPPを描くと、今まで自治体職員が地域内経済で回していたお金が地域外への大きな支出として描けます。「地域外への大きな支出が悪」と単純化するつもりはありませんが、巨大な支出が地域外に続いていけば地域内で幾ら小さな経済的成功を積み重ねても好循環にならない、焼け石に水ということにもなりかねません。

 私が危惧するのは地域で起こる小さな経済的成功が「消費者との距離が近い」「生産者の顔が見える」という場合、一見、コンサマトリーな生き方に見えるため本人や周りが良いことを積み重ねているという認識で実は事態は前より悪くなっていることがありうるためです。早めに気付いていれば防げる失敗に対して敏感でありたい。私自身の美学は、見た目のコンサマトリーではなく、社会システム論的な失敗に対する敏感さ、反省と合理性です。ループ図を描くことでそのような誤謬を減らすことができると考えています。

 最後、3つめの社会をシステムとして捉える考え方はエリヤフ・ゴールドラットが提唱する「TOC」(Theory of Constraints:「制約条件の理論」)です。

「TOC」はボトルネックに注目し、ボトルネックの改善を進めます。時間あたりのスループット(民間企業の場合は製品、または利益)はボトルネックが決めるとして定式化しています。

 この「TOC」は非常に強力なソリューションであります。「TOC」がもともと製造業の生産管理の理論だったことから製造業だけと思われがちですが、社会の中で仕事またはプロジェクトが進行するところには全て当てはまるユニバーサルな理論です。

 ループ図との使い分けは、まち全体、地域全体は大まかにループ図で描いて構造を把握すると良いでしょう。特定の会社や組織で労働生産性を上げるなら、「TOC」のボトルネックの発見などの方法が良いでしょう。

 これらの社会をシステムとして捉えるやり方はあまり知られていませんし、実践もされていません。実践することで高い効果を挙げることができるでしょう。明日以降、もっとビジネスに落とし込んで行きたいと思います。

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