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2024年4月27日開催【玉乃井円坐:生き様の探求】

「玉乃井円坐:生き様の探求」

日時:2024年4月27日(土)14:00~17:00
参加費:4,000円
場所:人文系書店ヒカリノスミカ(福岡県福津市津屋崎4-1-13海のほとり玉乃井2階)
主催:人文系書店ヒカリノスミカ
申込はこちからから:https://forms.gle/egyfbq8M18VumBq46

海のほとり玉乃井という元旅館の一角に「人文系書店ヒカリノスミカ」という人文書を中心とした本屋をひらきました。

開店の理由はいろいろありますが、つまるところ自分の好きな空間、場をつくることと、そこで出会う気の合う人たちと人生のドラマを創出したいというのが最も純粋な動機なんじゃないかと、いまは思っています。

5年ほど前、世の中のことがわからなさすぎて違和感にまみれていた時期がありました。

衝動的に冬の北海道を一人旅して、人間なのに人間のことよくわからないの怖くないですか?という言葉に出会いました。
「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス)を読んで、頭の中のノイズがぱっとおさまって心象風景に光が射した瞬間がありました。
それから、人間のこと、社会のこと、世界のことをもっと知りたいと思うようになり、本が不可欠なものになりました。

一度明晰になった感覚を得ても、エントロピー増大の法則よろしく、時が経てば世界の方向性に違和感は増していきます。
本という物質にはそれと向き合うためのヒントとなる光が棲んでいます。
本も他人も答えはもっていません。もらうのは気づきや問いです。
便利な小手先のノウハウにわたしの毒を手渡すわけにはいきません。その毒こそが生き様にドラマをもたらすのでしょうから。

そして、知性だけを磨いても実践しないのなら悶々とし続けるだけです。それだけではいのちに申し訳ない。生き様を磨かなければいけません。
くにさんの円坐は、まさにいのちを全うする実践への気づきや問いをもらえる場です。技とか芸といった表現のほうが適切もしれません。そこで芽生えた意識は深く刻まれます。

社会や世間の嘘っぽさ、あるいはわたしのように自分の嘘っぽさが拭いきれない人種には刀で切られるような痛みと同時に、いのちへの向き合い方というものに腹落ちする感覚を覚えるんじゃないかと思います。

さて、この玉乃井という元旅館には亡くなられた前家主安部さんという方の存在があります。わたしはお会いしたことがないのですが、本屋を訪れた方々から、安部さんが喜んでるわという言葉をたくさんいただきました。
このまちにいると、玉乃井、安部さんがいかに愛されているか身に染みます。

わたしはそこに相応しい人間だろうかと向き合わねばなりません。こんなにも想われる安部さんの生き様とは一体どんなものだったのだろうかと想像します。そして、死という概念に対する不思議が生まれます。
その場所でなければ探求できないことがあります。だからわたしはここにいるのだと思います。

     人文系書店ヒカリノスミカ店主 野尻


「昨年、福岡県福津市の津屋崎という集落で円坐舞台を行い、野尻暉(ひかる)という男に出逢った。

円坐に坐った野尻暉は、
「違和感にまみれ」「社会や世間の嘘っぽさ」「自分の嘘っぽさ」
を語って号泣した。

人に与える印象を操作したり、売名や保身のために演技で泣いて見せる人間をたくさん見てきたが、
野尻暉の涙は、彼自身の涙であった。

今年三月、津屋崎の由緒ある古民家「海のほとり玉乃井」の二階で再び野尻暉と出会った。

本屋を始める準備をしているのだという。
玉乃井の二階の一室の、歴史を経た重厚な木の机の上に、
仕入れたばかりの学問書が無造作に積み上げられていた。

興味を惹かれて本を見るうちに『なぜ私は一続きの私であるのか』という本を見つけて買った。

「人文系書店ヒカリノスミカ」

これが野尻暉が命名した屋号である。

橋本久仁彦はヒカリノスミカの最初の客になった。

野尻暉と橋本久仁彦は買った本を、そして売れた本を「間」に置いて、
昨年以来二度目の対話をした。

野尻暉と橋本久仁彦にとって対話とは、共通点を見つけて仲良くなることではまったくない。

「ふたりの間」に生まれ、現実にこの世の一部となった時空間に、
生き生きと生ずる違和感をまっとうすること。

そして「ふたりの関係」が、
世界で初めての「いのち」として創造される生みの苦しみに耐え抜くことだ。

橋本久仁彦は野尻暉の言う「嘘っぽさ」に関心がある。
「嘘っぽさ」とは何なのか。
なぜ橋本久仁彦にその言葉を聴かせたのか。

そしてなぜ野尻暉は自分自身にその言葉を聴かせるのか。

あるいは本当に野尻暉という人間は「嘘」なのか。

「言葉」を聴かされた橋本久仁彦は、人間存在を生きる者としてその虚実を確かめなければならない。

ふたりは合意して「対話」を仕合っているのだから、言葉の意味としてそれが当たり前の行為である。

お互いが相手に対して「本当に存在する」ことを欲するならば、
どうしてもその存在を確かめ、相手と自分に対して存在として生きることを決意しなければならない。

「対話」とは、
話をするにあたって、まず相手にまっすぐ向かい合い、辞儀し、ふたりの意識が充満した空間を仕切り、
その意識空間で相手に対峙し、相手と仕合い、その結果相手に対して世界で初めて存在する新しい人間になることである。

野尻暉が書店を開いた「海のほとり玉乃井」は、勇壮豪胆な表情を見せる玄界灘に面し、
かつて津屋崎千軒と呼ばれて賑わった歴史ある町に、今もひとり立ち続ける象徴的な古民家である。

野尻暉と橋本久仁彦は、玉乃井の威光に恥じぬ「意識の充満した対話」を、
我々ふたりの間から、世界で初めて開始したいという意志において一致した。

この世界で初めての「ふたりの間」が「ヒカリノスミカ」である。

「スミカ」とは隅で交わること。

「海のほとり玉乃井」で生じたひとつの「ヒカリノスミカ」は、
世界中のスミズミまで共振し、創発し、世界中の「スミカ」となる。

2024年4月27日土曜日、玉乃井にて
津屋崎に生きる「人文系書店ヒカリノスミカ」の野尻暉と、
「この世の名残り旅の一坐」の有無ノ一坐坐長、橋本久仁彦が三度、出逢う。

口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦」

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