見出し画像

『戦争とは何か』神山睦美著

※地方・小出版流通センター情報誌【アクセス2022年11月号】新刊ダイジェストより


 本書の刊行の直接のきっかけは、この2月(2022年)に始まったロシアによるウクライナ侵攻という事態であるには違いない。確かに本書第一部は「ウクライナ戦争をどうとらえるか」と題されており、著者によってSNSに投稿された「ウクライナ戦争への反対声明」が掲載されているし、また今回の侵攻についての歴史的背景への言及もある。しかし、本書で主題化されているのは、状況論であるより、戦争の本質とは何かという戦争の哲学的理解であり、古今東西の哲学者、思想家、作家たちの思考を参照しながら、戦争を原理的に把握し、それを超えていく普遍的道筋を示すことなのである。そこで最初に明確に打ち出されているのが「絶対非戦論」の立場である。それは「どのような戦争にも反対するという考え、たとえ侵略されるようなことがあっても、国家の軍事力をもって戦うことは拒絶するという考え、さらには、戦わないということによって、奴隷の立場に追いやられたとしても、甘んじて受け入れ、みずから行うべきことを黙々とおこなうという考え」ということになる。

 著者はこのような考えを直接には、小林秀雄や柄谷行人、吉本隆明といった日本の批評家、思想家から引き継いでいる。古くは聖書にある「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい。」あるいは親鸞の「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」に通じるものである。これを、まったく現実離れした評論家による能天気な理想論として退けるのは簡単である。実際、今回の戦争について、このような絶対非戦論と交差する見解は世界中見回しても皆無であると著者は言う。しかし「それならば、あえて、私たちが小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人の絶対非戦論を私たちなりのかたちで唱えていくことは、意味がある」そう著者は書くのである。

 第二部「なぜいま絶対非戦論が問題とされねばならないか」では、吉本隆明の『甦えるヴェイユ』や、『全体主義の起源』等のハンナ・アレントの思考が、絶対非戦論の立場から考察される。第三部「戦争とは何か」で主に取り上げられるのは、日本の哲学者、竹田青嗣の思考である。竹田の「普遍戦争」という、世界秩序の基礎にセットされている自己中心性あるいは非融和性が、彼の「人間のメンバーシップ」や「生成する欲望」といった理念によってのり超えられる可能性が述べられる。

 第四部「ドストエフスキーと『戦争』」で非常に興味深いのは、ツァーリズムやスターリニズムの温床となったと言われる「ケノーシス」というロシア人のエートスについて触れているところである。ここでの考察は現在のロシアの状況を語る上でも欠かすことができないものと思われる。そして第五部「漱石と戦争」では、伊豆修善寺での大量喀血と三十分間の死の体験が、漱石の意識をどう変え、作品に戦争がどう映し出されていくかを見ていく。(N)

◆1800円・四六判・310頁・澪標・大阪・202208刊・ISBN9784860785475


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?