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くつずれ

雨上がりの夕方、足をひきづって歩く、新社会人であろうパンプス姿の女性を見かけた。足首には既に何枚かの絆創膏。ガンバレ、と思うと同時に、彼女がそんな靴を履かなくてはいけない社会に苛立つ。

若いころ、中高生からハタチ前後のころだが、それように持ち歩く絆創膏が欠かせないくらい、いつも靴擦れを起こしていた。足に合わないような靴を履いていたこともあるが、「女性の足は小さい方がよい」という偏った美意識のすりこみから、幅広の足を長さだけで合わせたサイズの合わない靴に押し込んでいた。学生時代6年間履いたローファーも、元々足の形に合わないヒールの細いパンプスも、流行していたバレエシューズもことごとく靴擦れを我慢して履いていた。

窮屈であった。自分で定めたあるべき靴のサイズ、あるべき自分の姿が窮屈で至る所に擦り傷を作って生きてきたのだった。無意識に理想の型を作り上げて、その中へ自分を押し込もうとし、うまく収まらず、不恰好にはみ出る自分に苛立っていた。シンデレラの意地悪姉妹のように、なんならはみ出たところをちょん切りたいと思っていた。

それなのに最近では最後に靴擦れしたのがいつかも思い出せない。カバンの中の絆創膏は子供が転んだ時用だ。靴のサイズが0.5cm大きくなって、理想の自分もゆっくりとはみ出たところに合わせて歪ながらも広がろうとしている。

「これでいいのだ〜」

とは到底思えないし、まだまだ足掻いているけれど。でもサイズの合った靴を履いて足掻くことはできるようになった。

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