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2021年冬・青春18きっぷ北海道珍道中紀行(04)渡道し、廃線決定した日高本線へ。

↓前回の紀行文


◎苫小牧で室蘭本線寄り道し、日高本線へ

(苫小牧西港〜苫小牧〜社台〜鵡川)

北海道の苫小牧港に入港したので、下船する。
苫小牧ゆるキャラ【とまチョップ】に迎えられる
流行病の影響だからか、マスク姿で。

06:00、川崎近海汽船シルバーフェリー、シルバーエイトは定刻に北海道苫小牧港に入港。私は眠くで気怠い身体を引き摺るように下船し、タラップを歩く。
苫小牧港ターミナルビルを出たら、流石に北海道だ、本州より寒く、一気に目が覚めて、気怠い身体が一気に引き締まる。
とりあえず、駅に出なければ先に進めない。私は道南バス24系統フェリー線苫小牧駅前に乗車した。

フェリーターミナル(西港)06:30発
道南バスフェリー線苫小牧駅前行
いすゞエルガ・ワンステップ(撮影 フェリーターミナル)

苫小牧西港から苫小牧駅まで、路線バスで十数分かかった。昔、何も知らずに苫小牧駅からフェリーターミナルまで歩いたら、冬場に1時間以上歩かされてしんどい思いをしたのを思い出す。その時代はフェリーターミナルへアクセスする路線バスは無かったから、それを思えば便利になったと実感する。

室蘭本線苫小牧駅

十数分で苫小牧駅に到着。バスを降りたら、目の前に殺風景なコンクリート造りの苫小牧駅がある。今日の予定は苫小牧が起点のローカル線である日高本線を終点の様似まで往復するだけ。ただ、様似までは距離があり、往復するだけで一日仕事だ。
その日高本線の列車は07:52発で1時間以上ある。時間を潰すにしろ、駅ナカや周辺に喫茶店は無い。なにしろ、駅ビルの商業施設エスタも閉館し、駅前デパートだったサンプラザまで破産して廃墟と化しており、駅前一等地が散々たる現状だから、たとえ1時間ですら時間を潰せる場所は無い。
この場合だと、青春18きっぷを使って列車で手近な場所まで往復するしかない。私は06:47発普通室蘭行に乗車した。

苫小牧駅から青春18きっぷを使用。

室蘭行は、過去に学園都市線に使われていたキハ143系2両編成。元を辿れば国鉄時代に建造された50系客車だった。学園都市線増発の為に強馬力エンジンを搭載し、車内を通勤輸送に対応したレイアウトに刷新された。しかし8年前に学園都市線が電化されたのを機に、ワンマン化改造されて室蘭本線に配置転換された。

片方を2人掛けボックス席に改造されている。

しかし、窓ガラスの汚れっぷりには閉口してしまう。耐寒対策で二重窓になってはいるが、その2枚とも汚れ切っている。内窓を開けても、車窓は汚れた窓越しだから、曇って見える。どう見ても洗車をサボっているようにしか見えない。これじゃあ、せっかくの北海道旅行気分も台無しだ。

窓ガラスの汚れっぷりに閉口(室蘭本線糸井駅)
窓ガラスの隅は、頑固な汚れがこびり付いていた。
苫小牧06:47発 ワンマン普通室蘭行
キハ143系2両編成(撮影 社台駅)

さて、行き過ぎたら苫小牧まで戻れなくなるので、苫小牧から4つ目の社台で途中下車する。社台といえば、競走馬育成の社台ファームが有名だが、社台ファームの牧場自体はこの社台ではなく千歳や早来にある。

室蘭本線社台駅
社台駅ホーム

駅自体は無人駅だが、駅舎は過去に下車した千歳線美々駅や室蘭本線虎杖浜駅と瓜二つの建造物だった。おそらくそれらと同時期に駅舎改築を施行されたのだろう。
駅周辺は集落が形成されているが、コンビニや商店は無く、なんとなく寂しい。駅近くには牧場が点在してはいるが、ホームからは見えない。ただ下車したという実績が付いただけだった。しかし、個人的に気になっていた駅だけに、下車した事に関しては満足している。

社台07:19発 ワンマン普通苫小牧行
キハ150系100番台+キハ40系1700番台2両編成(撮影 社台駅)
後ろは観光向け改装車【道央花の恵み】号だった。
(撮影 苫小牧駅)
車内も観光向けに改装されていた。

しばらく待つと、下り苫小牧行普通が来た。キハ150系とキハ40系の2両編成。私はキハ40系に乗車したら、観光向けに車内が改装された車両だった。乗客は一人しかおらず、かなり寂しい。これで苫小牧まで戻る。

苫小牧駅07:52発、普通様似行に乗る
苫小牧07:52発 ワンマン普通鵡川(様似)行
キハ40系2両編成(撮影 苫小牧駅)
キハ40 354に乗車

苫小牧に戻ると日高本線に乗るには丁度良い時間。日高本線が発車する1番ホームへ行くと、キハ40系2両編成が停車していた。前は白い車体にコーポレーションカラーであるライトグリーンと細い青帯を纏ったJR北海道標準塗装、後ろは窓まわりが紺色に細いピンクの帯をあしらった日高本線オリジナル塗装だった。
車内に入ると、ガラガラではあるが、ボックス席に満遍なく旅行者が占拠しており、辛うじて一箇所だけ空いていたボックス席に座れる。旅行者と記したが、全員が鉄道ファンの様だ。

07:52、ワンマン普通鵡川行、苫小牧発車。乗車している日高本線は、苫小牧から新冠、静内、浦河を通り様似まで146.5㌔のローカル線である。しかし、2015年に度重なる災害で路盤流失等の被害を受け、それ以来約6年間、鵡川から様似までの116㌔がバス代行となっており、列車の運行区間は苫小牧〜鵡川間の30.5㌔しか無い。
災害後にJR北海道と地元自治体が日高本線復旧に向けた話し合いがあったが、復旧費用が数十億円と試算され、また、復旧させたところで、再び同じ災害が起きる可能性もあり、莫大な復旧費用をJRはおろか地元自治体すら負担できず、結局紆余曲折の結果、2021年4月に鵡川〜様似が鉄道事業としての廃止が決定した。
今はJR日高本線として鵡川以遠は列車代行バスを走らせているが、鉄道事業として廃止されたら、青春18きっぷで乗れなくなるので、旅程に組み込んだ。今まで日高本線は列車で2回乗車したが、何れも北海道ワイド周遊券での乗車だった。最後に青春18きっぷで乗りたかったのだ。
鵡川行は、勇払・浜厚真に停車。そして浜田浦を通過し、08:20鵡川到着。列車はここまでで、鵡川から先は列車代行バスに乗り換えとなる。

◎日高本線列車代行バスで被災箇所へ

(鵡川〜大狩部〜静内)

鵡川は、国鉄時代は富内線が分岐していたから
構内は広々としている。
日高本線鵡川駅
鵡川08:38発 列車代行バス静内行 
J-BUS いすゞエルガワンステップバス(撮影 鵡川駅)

列車を降りて構内踏切を渡り、比較的真新しい木造駅舎を抜けると、駅前には白い車体に青とグレーの帯を纏ったバスが停車していた。行先表示を見れば、【静内駅行 列車代行】の表示が。これが日高本線鉄道代行バスらしい。
乗車し空席に座ると、さっきの列車からの乗り継ぎ客がドカドカと乗車してきた。ほとんどが旅行者、いや廃止目前の惜別乗車に来た鉄道ファンだ。私もその一人だから、人の事をとやかく言えないが、同属嫌悪の気がある私は、本音は廃止決定前に乗りに来たかった。数えてみたら、私以外に旅行者が12人もいる。彼らは恐らくは、終点の静内まで行き、静内で接続の様似行に乗り継ぐだろう。一方私は、終点まで乗らずに、途中の大狩部で下車する。
08:38、日高本線列車代行バス静内行、鵡川発車。二度と列車が走らない線路から離れて、国道235号を進む。次の汐見まで線路沿いで行く道は無く、線路から離れた国道経由になる。容易く言うと、汐見まで三角形の二辺を辿る感じだ。
15分かかり汐見に到着。列車だったら数分で行けるだけに、やはり代行バスは時間がかかる。ここで旅行者が1人下車し、列車の来ないホームに向かった。最近流行りの駅巡りの旅行者だろうか。

日高本線汐見駅代行バス停留所
列車が来ない汐見駅に降り立った旅行者が。
代行バス停留所の一部は、既存の路線バス停留所に併設

汐見からバスは再び国道に戻り、静内駅を目指す。車内は誰も喋らずに静かだ。全員が独り旅なので騒がしくない。私はひたすら、バス車窓を眺める。
厚賀を出て次は大狩部だ、私は下車準備をしたら、バスの運賃表の表示は【大狩部高台】と表示された。大狩部の駅自体は海沿いにあると記憶しており、高台と名乗る以上、海沿いにある駅では無い恐れがある。
私はバスが信号待ちで停車した際に運転席まで行き、自分は大狩部の駅に行きたいが大狩部高台とは別なのか訊ねた。

「大狩部駅は高台の次の駅ですから。」

運転手はそう答えた。大狩部高台、予め日高本線代行バスを調べた際には、JR北海道のHPには記載が無く、現地のこのバスに乗って、初めて知った。後にバス停に掲示されている日高本線代行バス時刻表には、大狩部〜厚賀間に【大狩部(高台)】の欄があるのに気付いたが、現地に行かなければ解らない駅は初めてだ。国鉄時代の流儀に照らせば、鉄道管理局が独自に制定した仮乗降場や臨時駅の様なモノだろう。

大狩部に到着した日高本線代行バス

バス通り沿い謎の大狩部高台に停車した後、3分で大狩部に到着した。私は運転手に青春18きっぷを提示した。

「あそこにあるトンネルを潜れば、大狩部駅に出ますから。」

JRバス運転手は、丁寧にトンネルを指差して案内してくれた。私みたいな旅行者の相手に慣れている感じだ。それだけ大狩部駅を訪れる旅行者が居るのだろう。私は運転手に礼を言い、鵡川から乗車した日高本線代行バスを下車した。車内にあれだけ旅行者が居たのに、大狩部に下車したのは私独りだけだった。みんな、そのまま様似まで行くのだろう。
代行バス停留所前に、少し高台を走る国道325号線の下をくぐるトンネルが薄気味悪く口を開けていた。地中に水路や通信線を埋設する際に建造される、ボックスカルバートにも見える。

大狩部駅代行バス停留所には、国道を潜るトンネルが
国道下のトンネルを潜った先には・・・
太平洋に面した、小さな小さな大狩部駅が現れた

そんな薄気味悪い国道下のトンネルを、恐る恐る通り、トンネルを抜けると、荒涼とした景色が広がった。眼の前の簡素な駅越しに、太平洋の荒々しい景色が大きく広がっており、私を驚かした。

日高本線大狩部駅

「す、凄い、何なんだ、この駅は。」

私は立ち尽くしてしまった。
目の前には線路沿いに木の板が風防代わりに立て掛けられている。そして階段を数段降りた所に大狩部駅ホームがあるが、土を盛っただけの、1両分には長いが2両分には満たない、簡素なホームがあった。もちろん屋根や上屋なんてものは無い。ただ駅名標とワンマン列車向けのホームのミラーがあるだけだった。
そして右手には、コンクリートブロックを積んだだけの簡素な待合室、左手には工事現場等で見かける簡易式の仮設便所がポツンと置かれていた。
今まで私は、あちこちの駅に乗降した。東京駅や新宿駅等の超が付くぐらいのビッグステーションや、降りたら何もない山奥の無人駅に降りたりした。しかし、この大狩部駅のロケーションは、それらを超越した衝撃があった。 

そしてホームに降り立ち、右手を見たら、再び衝撃的な光景が眼に飛び込んできた。線路の下にある路盤が流失し、線路が飴細工の様にクネクネと曲がり変形していた。

大狩部駅上り方の線路は、路盤が流失していた。

日高本線は復旧を断念しているが、これを見たら一目で復旧は非常に難しいのが解った。「百聞は一見にしかず」、当にこれの事だ。海が目の前だけに、工事用重機の搬入も難しいし、復旧させた所で、また太平洋の荒波が線路を襲うかも知れない。この荒々しい被災地の現状を目の当たりにした私は、あまりもの光景に、ただただ立ち尽くすしかなかった。

風化しボロボロになっている、大狩部駅待合室
待合室の中もボロボロに劣化していた
国鉄の名が残るゴミ箱

大狩部駅待合室は、コンクリートブロックを積み重ねただけの、質素というか簡素な造りだった。そのコンクリートブロックも、長年の太平洋からの潮風に曝されて、ボロボロに劣化しており、中の骨組の鉄筋まで露出している。もし地震が来たら一撃で倒壊しそうだ。
中に入ると、作り付けの木の長ベンチがあり、とりあえずは腰掛けられる。しかし、ボロボロに劣化しているし、窓も無ければ電灯も無い。こんなボロボロな待合室、今まで経験した事がない。

壁には代行バス時刻表等の代行バスに関する内容のポスターが貼られていたから、JRが管理して時々来ているのがわかるが、しかしこの待合室は怖い。電灯も無いから、夜に列車を待つのは怖い。
待合室にあった、錆びが浮いたゴミ箱には、【道内乗り放題きっぷ!、特急・急行列車・国鉄バス・・5日間有効】の文字が。国鉄の文字からして、このゴミ箱は30年以上前の代物だろう。元からあったのか、余所の駅から持ち込まれたのかは分からないが、しかし令和の時代に国鉄遺産を目の当たりにするとは思わなかった。

大狩部駅下り方も、線路の下の路盤が流失していた。
路盤が流失し、宙に浮いた線路。

さて、大狩部に下車したが、次の日高本線代行バスは14:22発まで4時間近くも無い。元々代行バスは、列車ダイヤに合わせて設定されているから仕方無い。しかし、こんなうらぶれた場所で4時間も待つつもりは毛頭無い。私はさっき下車した代行バスの大狩部駅停留所から東へ歩いた。

道南バス大節婦停留所待合室
静内行は1日に6便

ものの数分で、大狩部駅待合室とは比べ物にならない、洒落た待合室が併設された、苫小牧と静内を結ぶ道南バス大節婦停留所に着いた。時刻表を見れば、1日6便と少ないが、あと十数分で10:57発静内行が来る。予めこの路線バスの存在を調べていたから、大狩部駅に降り立つ事が出来たのだ。
停留所には、おじいさんが1人バスを待っていた。少しおじいさんと談笑しながら、静内行のバスを待つ。しかし、発車時刻を過ぎても静内行がなかなか来ない。同じ静内行バスを待っているおじいさんと一緒だったから、不安は無いものの、独りだったら本当にバスは来るのか、もしかしたら早発したのか、いや年末年始運休になったのかと、不安でソワソワしていただろう。
しばらくして、国道の先から静内駅前という表示を掲げた、緑色の三菱エアロスターのバスが現れた。時間を見れば12分遅れだった。私はおじいさんと一緒に静内駅前行道南バスに乗り込んだ。

十数分遅れで来た、道南バス静内駅前行。


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