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続・洋服について思う事

"それは本当にリアルなのか?"

・居酒屋トークから生まれた本当の【カッコ良い】とは?

最近、新しく3人で「into the nerd」と言うラジオを始めた。音楽が好きな3人が集まってあれやこれや話すと言う居酒屋トーク的なラジオ。

先日、ラジオの初回放送を終えて「反省会」と言う名ばかりのラジオの延長みたいな事を居酒屋でご飯食べながら話していた。

その時に前述の"リアルなのか?"と言う話題になった。

どう言う事かと言うと、例えば、ある日本のラッパーがいたとする。そのラッパーが「悪」を前面に押し出している。でも、その人の育ちを見ると両親もボンボンで祖父母もボンボン。

文学的なヒップホップでは無く「悪」を前面に押し出すヒップホップは本来、貧困で家庭環境や社会に対する「憤り」を表す事で生まれたものだ。

しかし、先程例に出したラッパーはその「憤り」や「反骨精神」が生み出される環境では無い。なのに、「悪」を前面に押し出したスタイルをやる。バンドにも同じ事が言える。

だから、先日ご紹介した「スチャダラパー」は文学や演劇、お笑い、ゲーム等から影響を受けていてそのスタイルを今もなおやり続けているから"リアル"だ。だから、スチャダラパーはとても魅力的だし、本当にカッコ良いし、ああ言う人に憧れる。自分はああ言う大人が大好きだ。

と、スチャダラパーのカッコ良さをそのラジオを一緒にやっている1人に延々とプレゼンした。

スチャダラパー

それが「ヒップホップ」や「バンド」と言う例えであっただけでこれは全てに言える事だと思う。

・リアルかリアルじゃ無いか

何にしたってどの業種にしたってそうで、そう言う"リアル"じゃ無い人は魅力的では無い。
でも、そう言う"リアル"じゃ無い人がとても魅力的に"見られて"しまいがち。

なので、自分もそうはならない様に気をつけているし、人と接する時もその人が"リアル"か"リアルじゃ無い"かを基に自分なりに判断して付き合う様にしている。

例えば、「エコ」だとか「SDGs」だとか言ってるのにペットボトルのジュースを飲んでいたり。

例えば、アンティークやヴィンテージの物が好きで新しい物はダサいとか言っときながら最新のiPhoneを使っていたり。

例えば、バンドTや映画Tをお店で置いているのにその事に触れると店員が一切知らなかったり。挙げ句の果てには、その音楽を聴いた事も映画を観た事も無かったり。

聴いた事無いですの代表「Nirvana」

これらの辻褄が合ってない人はとても魅力的だとは思わない。

・そこに愛はあるんか?

こと古着に関して言えば、何だかなと思う事が多々ある。田舎の古着屋の端くれとして、そう思う事が度々あるのだ。

古着好きです!と言っておきながら、結局皆が求めている流行りのバンドTや映画Tを求めている。本質を見失っている様な気がする。

皆と違う物や一点物で人と被らない所が魅力で古着を買っているのではないだろうか?それが好きでその古着屋の販売員をしているのではないだろうか?
もうこの令和になって「古着」の捉え方が変わって来ているのだろうか?単なる流行り物になってしまったのだろうか?

そうだとしたら非常に悲しい事だ。
そんな何年かで価値観が変わってしまうのか。

それなのに古着好きだと言う全員に問いたい。

そこに愛はあるんか?

ましてやそのバンドTや映画Tを着ているのに全く知らない。聴いても観てもない。
それは、店員がそれをまず知らないからお客様に伝える事も出来ない。
だから、売れてるとか人気だとかレアだとかでそれを売り付ける。店員が伝えていないのが原因だと思う。

そもそもその店員が"売れてるとか人気だとかレアだ"とかで買っているのでは無いか?

また最近、古着屋を始めました。と言う人達も大勢いる。古着が流行っているから今イケると思っているのか、そう言う上記の流行り物の商品を扱っている所が本当に多い。本当に好きな物を取り扱っているのか?それは自分自身が本当に心底好きな物なのか?そんなリアルじゃ無い人には個人的には魅力を感じない。

そこに愛はあるんか?


・古着屋の面白い所と最近の古着屋

古着屋ってその人の【好き!】が溢れている所がとても魅力的だ。と個人的には思っている。

例えば、アウトドアが好きでキャンプや登山によく行っている人は取り扱う物もアウトドアの物やマイナーなアウトドアブランドの古着を取り扱っている。

例えば、企業物が好きな人はアップルとかパソコン関連の流行っている物じゃないマイナーな企業の制服みたいなのを取り扱ってる。

例えば、変な日本の昔の物が好きな人はマイナーな変な昔の物ばかり取り扱っている。

そう言うそれぞれの古着屋さんごとに"色"があったのだ。それこそ誰とも被りたく無くて誰もやってない事をやろう!と言う意思や熱量がヒシヒシと伝わって来ていた。そう言う人達がカッコ良いと思った。そう言う所が面白くて好きで古着屋をやろう!と自分も始めたのだ。

しかし今はどうだろう。無色透明である。
色が無いのだ。最近はそう言う所があまりにも多い。大阪や関東の方には面白いセレクトをしているお店が沢山あるが、近場には無い。どこもかしこも一緒。

だから、買う側のお客様も「西海岸」や「セカンドストリート」も"古着屋"と言う印象なのだろう。

そうならない様に、そう思ってもらわない様に一見、洋服と関係ない様に見える映画や音楽を紹介しているんです。洋服も音楽も映画も全部一緒。繋がっているんです。そう思ってもらえるようにもっとやっていかないといけないと使命感にすら駆られています。

と、ここまで長々と2000文字超も書きましたがこのnoteも本当に読んで欲しい若者達には一切届かない。

なので、この思いや文章も"リアル"じゃ無いと思われる事でしょう。。。

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