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鴨川・学生最後の

この春大学を卒業し、京都を離れる身である。
そういえば京都についてまっすぐ書いたことがないなと思ったので、書く。


京都が好きだ。
たぶん森見登美彦の小説の影響が大きい。夜は短し歩けよ乙女とか、四畳半神話大系とか、まあそういう作品に触発されて京都にやって来た大学生は少なくないだろう。私もそういうありきたりな学生の1人なのだ。

京都のいいところは、過去と現在、自然と文化、みたいな相反する概念が共存できているところだと思う。歴史ある建造物と現代的な建物が層をなして干渉も離別もしきらずに地つづきで存在しているところがたいへん好ましい。


京都にお住まいの方になら共感を得られると思うが、私は鴨川がとても好きだ。京都でいちばん好きな場所、川なんじゃないかな、とさえ思う。学生生活にはつねに鴨川の存在があった。ひとりでも、ひととでも、季節を問わずよく散歩したきれいな川。

鴨川沿いを歩いているとあらゆる年あらゆる季節の記憶が多層的に覆い被さってくる。


初めての恋人との初めてのデートは河原町だった。そのまま鴨川沿いに出て、鴨川等間隔の構成員になり、日が暮れるまでお喋りした。デートで鴨川に行くと別れるってジンクスあるよね、水の神様が嫉妬するかららしいよ、って教えてあげて笑いあってそんで1ヶ月後に別れた。

五山の送り火をひとりで見に行ったとき、老夫婦が近くにいたのでベンチを譲ったらとても喜んでくれて、そのまま3人で喋りながら大文字山を眺めた。老夫婦は送り火を見るために毎年山形からここに訪れていると言った。『素敵な方に出会えてよかったわ』と言ってくださったので心の底からこちらこそ、と思った。

友達とデルタで駄弁っていたら2人組に声をかけられて、たまたま大学も学年も一緒だったので意気投合してインスタ交換しようって言われて、インスタやってなかったからその場でインストールしたこともあった。彼らとはあれ以降一度も個人的なやり取りはないが、時折ストーリーズに彼女らしき女性の写真が載っているのを見て少し嬉しくなる。ただの他人だけど幸せでいてほしいなと心から思う。そういう出会いがあそこにはある。

ブルーシート敷いて流星群を見た。橋の下で桃を切ってみんなで食べた。お花見をした。線香花火をした。そのあと夜通し恋バナもした。河川敷の公園でドッヂボールやバドミントンをした。飲み会帰りには適当な懐メロを口ずさみながらみんなで歩いた。雪が積もった朝はひとりで寝巻きにコート羽織って土手まで出てたくさん写真を撮った。そして次の春が来て、去年とは違う友達とまたお花見をした。

夏の夜、ベンチでいちごみるくを飲みながら話が尽きるまで居座った。対岸で誰かが花火をやっていてきれいだった。全部忘れたくないと強めに思ったけど、でも全部忘れるんだろうなとも思った。


ここ1年、どんなことにも『学生最後の』という枕詞がついた。夏休みも学祭も、授業も、バイトも、学生最後のあれこれは全部つつがなく畳まれていった。まあクラスメイトのほとんどは大学院に進学するわけだし、畳まれたのは私の中の京都だけなのであって、私がいなくなったところで京都の日々は営まれ続ける。

忘れたくなくて日記を書く。写真を撮る。絵を描く。次に会う口実を作る。

どうにか留めておきたいともがくことは、決して無駄なことではないと信じている。


きみと過ごしたどの季節にも鴨川があり鴨川をはなれてしまう

阿波野巧也


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