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自分を好きになるために。母に「整形する」と伝えた夜(有村藍里)

エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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有村藍里
1990年8月18日生まれ、O型、兵庫県出身。趣味はカメラ。中学時代に引きこもり、人見知りでネガティブな性格であり、自分を変えたくて、16歳のときに芸能界入りを決める。現状から脱却するための努力や逆境を乗り越える姿が、同じような境遇の悩みを抱える女性から多くの支持を得ている。2019年3月、美容整形を受けたことを公表し、その正直に打ち明ける姿と有村が持つ雰囲気により、多くのファンから共感を集めた。
(Twitter:@arimuraairi/Instagram:arimuraairi

2018年、7月。私は顔の美容整形、輪郭矯正の骨切り手術をすることを決意しました。

それからの数カ月間は、担当の先生とカウンセリングを重ねて何度も手術について話し合い、リスクや手術後のことの勉強、身体検査などをして、やっと待ちわびていた手術の日程が決まりました。

手術をするのは2018年10月末。

それまで、私は整形をすることを家族に一度も話していませんでした。

美容整形をすること、全身麻酔を必要とする約6時間の手術だということ、顔を変えるということ。

言えませんでした。言いたくありませんでした。言うのが怖かったんです。特に、母のことを絶対に傷つけてしまう、悲しませてしまうと思っていました。

自分が育てた愛する我が子に「美容整形をしたい」と言われたらどんな気持ちになるのか、私は親になったことがないからわかりません。でも、手術を決めたことをずっと言えなかった私は、きっと感じていたんです。母が、快く了承するわけがないと。

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母は、私が生まれた日からたくさんフィルムカメラで写真を撮って、その思い出たちを大切にアルバムに残してくれていました。すごく重くて分厚いアルバムが実家に何冊もあって、貼りきれていない写真も大量にあります。

フィルムカメラで写真を撮っては現像に出して、写真を受け取ってアルバムへ……ということを何度繰り返してくれたんだろうと考えると、とてもうれしく思います。

写真の中の小さな私は、赤ちゃんのころからよく笑っていて、いつもかわいいお洋服を着せてもらって、かわいいヘアゴムで髪をきれいに結ってもらっていました。笑顔だったり、照れ臭そうだったり、おすましさんだったり、いろんな表情をしていました。

私はそのアルバムを見返すのが好きでした。母からの愛を感じました。週末には家族で必ずお出かけをして、とても楽しかったのを覚えています。

「私の娘たちは本当にいい子に育ってくれた」──母がよく言う言葉です。

私も、大切に育ててもらったのだと胸を張って言えます。

だからこそ、手術のことはずっと言えませんでした。早く報告しないと……と思いながらも、時間は止まってくれません。

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いよいよ、手術があと数日後となった日の夜に、満を持して母に電話をかけました。私の手は震えていました。

「美容整形の手術をすることにしたよ」

「ちょっと骨を動かすだけ。数ミリ」

もう決めたことだから理解してほしい、と母を説得するように話しました。

直接は言えなかったけれど、そのときの私の心の中には「ごめんね」という感情があふれていました。

今の自分を愛せていないことや、突然整形をすると言われた電話の向こう側にいる母の気持ち。数日後には手術するんだ、コンプレックスが改善されるんだといううれしさ、怖さ、不安。考えれば考えるほどに、正直呼吸もうまくできないくらい頭の中はぐちゃぐちゃでした。

泣きながら話す私に、母は「大賛成、なんて言えないよ」とポツリと言いました。

母として、きっと言いたいことはたくさんあって、複雑な思いだったはず。きっと反対だったと思います。だけど、それを全部飲み込んで「わかったよ」とひと言。

私の、とても頑固で一度決めたことは絶対に変えない性格は、母が一番よく知っています。

その次の母の言葉は、こうでした。

「でも、大きな手術なんでしょう? 体は大丈夫なの?」

「本当に大丈夫?」と、何度も何度も私の体のことを心配してくれていました。

私は「大丈夫!」としか言えませんでした。

美容整形をしたことによって、自分がいったいどうなってしまうのか、そのあとのことは想像もつかなかったです。

コンプレックスをひとつ減らしたい。そして自分を好きになりたい。何も考えずに思いっきり笑いたい。それが私の願いでした。

ずっと変わりたかった。だけど変わることも怖かった。整形をして、顔を変えて、そうしたらなりたい自分になれるのかな? 常に頭の中で自問自答していました。

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母は言いました。

「賛成……というより、それがあなたにとってポジティブに生きていくための過程で、あなたが幸せに笑って暮らせることが一番大切だと思うよ」

──この言葉で、私の心に陽が差してきたように感じました。

美容整形をして終わりじゃない、その先の未来を自分自身でどう生きるのかが大切なんだね。

私は、たくさん笑って素直に自分を愛せるようになりたい。そうなろう。

見た目が変わったとしても、心を変えるのは自分次第。

母が、私が整形することにどんな思いで「わかったよ」と言ってくれたのかはわかりません。

だけど、母の言葉で救われたし、しっかり前を向いて進もうと決心できました。

最後に「がんばってね」と言われ、電話を切りました。

数年前、地元の兵庫から上京を決めたとき。母が、私の大好きなオムライスを作って「がんばれ!」とケチャップで書いてくれていたことを思い出しました。

母は、どんなときでも絶対に私の味方でいてくれる。私にとっての強い支えです。

あまりにネガティブになって自信を失い、まわりの人の言葉も聞けなくなってしまい、自分のことが大嫌いになった私に対して、多くは語らずに「いつでも味方だからね」と言い続けてくれていました。

母に整形することを告白した夜のこと、私はずっと忘れないと思います。

そしていつか私が母になる日が来たときに、母の気持ちがわかるのでしょうか。

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たぶん、このコラムを読んでくれているママへ。
私のことを産んでくれてありがとう。
私は、幸せです。

文・撮影=有村藍里 編集=高橋千里