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展覧会:塩田千春展 魂がふるえる

2019年7月28日(日)

張られた糸と結び目、糸の引く先。

糸は塩田の血管で引かれた糸には塩田の血が通っているようだった。

糸から狂気を感じた。


今日は、森美術館の展覧会「塩田千春展 魂がふるえる」に行ってきた。

夏休みの土日ではあったがさほど混んではなかった。隣で開催中の「進撃の巨人」の展覧会は大変混雑していた。

また、SNS等でややネタバレ気味なこともあり、既視感がありすぎてがっかりしたらどうしようと思っていたが、なんのその。

やはり、生で見ると圧倒されるものがあった。

【開催概要】本展は、塩田千春の過去最大規模の個展です。副題の「魂がふるえる」には、言葉にならない感情によって震えている心の動きを伝えたいという作家の思いが込められています。大型インスタレーションを中心に、立体作品、パフォーマンス映像、写真、ドローイング、舞台美術の関連資料などを加え、25年にわたる活動を網羅的に体験できる初めての機会になります。「不在のなかの存在」を一貫して追究してきた塩田の集大成となる本展を通して、生きることの意味や人生の旅路、魂の機微を実感していただけることでしょう。<HP:塩田千春展

今回の展覧会に行くまで、私は塩田千春を知らなかった。話題になってるし、なんかすごそうだから行ってみよう!という感じだった。以下がHPで紹介されている塩田の紹介だ。ベルリンで活動する、日本を代表する現代芸術家である。

【塩田千春】1972 年大阪生まれ、ベルリン在住。2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。南オーストラリア美術館(2018年)、ヨークシャー彫刻公園(2018年)、スミソニアン博物館アーサー・M・サックラー・ギャラリー(2014年)、高知県立美術館(2013年)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(2012年)、国立国際美術館(2008年)を含む世界各地での個展のほか、シドニー・ビエンナーレ(2016年)、キエフ国際現代美術ビエンナーレ(2012年)、横浜トリエンナーレ(2001年)など国際展参加も多数。2015年には第56回べネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表。<HP:アーティストについて

彼女の作品のキーワードは

繋がり、記憶、不安、夢、沈黙、「不在のなかの存在」

というところだ。個人的には存在論を復習していくべきだったかなと後悔した。

さて、前置きはこのあたりにして、印象的だったものを紹介していく。おそらく、感想をここに書いても、実際のモノを見ないと迫力や鬼気迫るものは伝わらないと思う。ぜひ、体感してきてほしい。


《不確かな旅》

(*筆者撮影)

糸の結び目一つ一つから小さな魂が感じられる。それがいろんなところ引き伸ばされ繋がっていることから、血の通った旅での記憶が紡がれているようだった。

しかし、それにしても、これは狂気でしかない。部屋全体を赤い糸が包むのだ。入って早々、おぞましかった。血しぶきを浴びたような気分だった。


《外在化された身体》

(*筆者撮影)

(*筆者撮影)

バラバラに引き裂かれていた。「魂が壊れる」と書かれているように、この作品には「魂」がどこにあるのかわからなかった。壊れているからなのではあるが。

タイトルは《外在化された身体》であるが、では、「内在化された身体」とはどのようなものだろうか。(内と外の表現が使われる時にはいつも気になってしまうことではある。)

心と身体が一緒にある状態のものが、「内在化された身体」なのだろうか。その場合、身体の容器に心が入っているように思えるが、それだと、内在化されているのは心になってしまいやしないか。迷宮入りである。これはまた考えることにする。


《集積―目的地を求めて》

(*筆者撮影)

これは、端的にかっこよかった。解説によると、約430個のスーツケースが天井から吊るされているらしい。

赤い糸でつながれたスーツケースひとつひとつが生きているかのように、ゆらゆら揺れている。

スーツケースひとつひとつにも個性がある。揺れ方もバラバラでそれぞれが目的地を求めて漂っているようだった。


《浴室の中で》

浴室の中で女性が頭を抱えている写真である。

それの説明書きがすごかったのだ。この展覧会で私が一番ふるえたのは、この説明書きである。

(*説明書き全文引用。日本語版。)

大家の作品はときにすごく共感できたりするのだ。恐ろしいくらいに。


発表会がひと段落すると、何もかにも手がつけられなくなったりする。先に進めなきゃいけないことはわかっている。しかし、何もやる気が起きない。やる気が起きるまでしばらく読みたかった本に触れてみる。

でもダメで、それが続くとだんだん憂鬱になっていく。

自分が無価値の人間であることをまざまざと見せつけられているように感じられてくる。空虚感は埋まらない。

しかし、ある日突然、スイッチが入るのだ。

このままで、死んでたまるか。

朽ちてたまるか。

そんなところだろうか。


《浴室の中で》は何かをつくっている人たちに共通して起こることにも思える。塩田にそれを突きつけられ、胸がいっぱいになった。


塩田は今回の展覧会に寄せて

「今まで、展覧会が好きでそれだけが生きがいで、作品を作ってきました。」

と述べている。

しぶとく、自分の思うものを作りつづけ、発表し続けることが何より大切であることがよくわかる。現に、塩田千春を知らなかった私が、今回の展示会を機に、塩田の作品に触れ感銘を受けた。彼女が作品を作るのをやめ発表もしてなかったらこんなことにはなってなかっただろう。

とにもかくにも、作り続け、発表し続けることだ。


本note中盤の迷宮入りは何か思いついたら、別に何か書こうと思う。


このnoteを読んでコメントやアドバイスなどがあれば、ぜひ書き込んでいただきたく思います。気軽にコメントしてください。


==参考までに==

気になっていた本だが読まずに置いていたら、ここで関係してくるようであった。先に読んでおけばよかったなぁ。



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