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月の僧侶の話

ハリ・ハリ・アウァツァラティ(いたいのいたいのとんでいけ)

こうとなえると、地上でだれかの苦痛が生起されたとき、まろやかな真珠層の、ひかりの被膜がそれをくるんで、一りゅうの輝きがうみなされる。そしてしたたり、上天へ、月へとおちていく。

月上には水の記憶の海があり、その底には寺院がある。

雨滴のごとくふる真珠は、多くは到達することもなく、とけて漂いちってしまうのだが、ときに底に至り、月の寺院の尼僧に拾いとられる。

聖像らの額飾り、耳飾り、へそ飾り、あるいはその目や古拙的に笑むくちもと、膚のひかりや薄衣のつやに彫琢され、塗布される。やがて白螺鈿のきらめきとなって剥離し、月の海へ漂いうせていく。

尼僧らはおだやかにたえまなく美しい行をする。

まれに、はりさけて蓮形に花ひらくものがある。
そうしたものは碧白い香油にひたして祭壇に祀り、祈りをささげる。

百年もすると、かたちも香気もきえうせ、からっぽにすきとおった玻璃だけが残る。






タヤ・シンドゥラジッドの寺院は、月の静かの海にある。
いつからあるのか、そも、ほんとうにあるのか。そのような寺院だ。

静かの海に水はないが、水の記憶はみちていて、タヤ・シンドゥラジッドがつねにそれを忘れないため、とらえがたい、あわいねばりけが風と変わらぬ軽さで、流れをつくり、波をつくっている。あらゆるものは青みがかり、水紋の希薄な紗をまとっているようにみえる。

ある日、タヤ・シンドゥラジッドは半跏思惟をとき、瞑想をやめた。
よびごえがあったのだ。砂をさりさりと鳴かせる歩揺のさなかに、おちた真珠の雨をみつけた。その中心に、はりさけた光があった。

タヤ・シンドゥラジッドはかがみこんでそれらをすくいとり、もちかえって玻璃籠にいれた。

香油をそそぐと、玻璃籠のなかは泡だち、ふるえ、白銀に沸きたった。
真珠はねじれ、縒りあわさって無数の蛇になり、牙を剥いた。

タヤ・シンドゥラジッドは鈴の澄明な音をならし、蛇の息を鎮めながら、低く高く自在な声でうたった。

 わたしはあなたであり、あなたはわたしである。
 あなたはくるしみであり、わたしはくるしみである。
 あなたはいたみであり、わたしはいたみである。

悲歌がおわるまで百日かかった。
悲憤をあじわいつくした蛇たちが蓮の花弁にもどると、いともしずかな祝歌が千日のあいだつづいた。

 あなたはさいわいであり、わたしはさいわいである。


祈りの最後のひとふしを終えて、タヤ・シンドゥラジッドはうなだれた。

地上人にとっての、長い長いときを、しかし月僧にとっては、ほんの須臾をへて、真珠はしたたりおちてきたのだった。

タヤ・シンドゥラジッドは、そのささやかな、たわいもない、脆さゆえに生まれるものらを、一滴一滴、あまさず手に掬う悠久の時間と、すべがあることを感謝していた。

タヤ・シンドゥラジッドは蓮籠を包むようにかきいだき、無声のままに目を閉じた。香油の液面がふたたび波打ち、そこから鳥のかたちがうまれでた。螺鈿光沢の鳥は、無音に羽ばたいてタヤ・シンドゥラジッドの肩に降り、まもなくして空を見た。

鳥は月上からとびたった。
鳥は地上人の肩でなくだろう。

ハリ・ハリ・アウァツァラティ(いたいのいたいのとんでいけ)





月の僧侶の物語

みんなで絵遊びをしたときのものです。 (c)Loiseau

みぎ のぎこ氏に関連作品をかいていただきました。(c) みぎのぎこ
https://www.pixiv.net/artworks/101999926

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