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父とスペイン語①

こんにちは、Lolaです。
現在オペア留学という制度を利用してアメリカ、
NYの郊外に住んでいます。


今回はオペアの話ではなく自分んのことについて少し詳しく書こうと思います。一番最初の記事で説明したように私は(父)スペイン×日本(母)のハーフです。ですが日本で育ってきたのもあり、つい最近までスペイン語も英語も全く喋れませんでした。

ハーフなんだ!じゃあ英語ペラペラなの?

これはまじで今まで言われてきたセリフ No. 1 じゃないかな。
ハーフ=英語って思うな!って思うし、
スペインのハーフだって言ってるのになんで英語やねん。
(まあスペイン語も喋れないけど。)

喋れないんだ!なんで〜?もったいない!

ちなみにこちらはイラッとするセルフNo. 1 である。(笑)
なんでとかじゃないだろ。じゃああなたは両親の方言とか完璧に喋れるんですか?って思うし、全ての家庭がうまくいっているなんて思わんでほしい。”離婚”って言葉知ってる?って聞きたくなる。

ここで隠しても意味がないので全部書きますが、
私の両親は私が小さい頃に離婚していて6歳ぐらいの頃には
お父さんスペインに帰ってしまっていたため高校までの家を出るまでは
お母さんと日本で2人暮らしでした。

ちなみに私のお父さんはスペインのグラナダの出身です。
グラナダのあるのアンダルシア地方はフラメンコの発祥の地とも言われていて、その中でも本場と言われているのが、グラナダです。
私の父は小さい頃からフラメンコ一族の中で育っていたみたいで
父もフラメンコのギタリストでした。

父と母はスペインで知り合い結婚し、日本に帰ってきてフラメンコスタジオを開きそこでフラメンコを教えていました。
そして発表会があると父のフラメンコ仲間をアーティストとして呼んだり、クルシージョ(ダンスレッスンみたいなもの?)やコンサートで日本にきている父の友人たちをスタジオに呼んだりとその頃はとても賑わっていました。

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この写真は父の友人でもあったフラメンコギターの天才と言われている
パコ・デ•ルシアに当時0歳だった私が抱っこされている写真です。
当時の記憶は全くありませんが、父の顔の広さはすごいなと思わされる写真でもあります。


話はずれてしまいましたが、父がスペインに帰るまで小さい頃から
スペイン語に関わることが多かったのもあり、
喋れないと冒頭で書きましたが、簡単な会話ならリスニングができ
理解できていました。なので13歳のときに1人でスペインに行った時も
父や従兄弟とはコミュニケーションは取れるけど、日本語と比べたら全く喋れないレベルで、喋れたのは”YES” ”NO” ”No sé(わからない)”だけ。
そんな状態で行ったなと思いますが、若いって強い。(笑)

しかし、父と母が離婚してから父の影響がよくなかったのもあり、
私の中でスペイン語=父とのコミュニケーションツール
という印象しかなく、父のことをあまり好きではなかった私は、
スペイン語にすら興味を持っていませんでした。

ちょっと長くなってしまったので、今回はここまでにします。
次回は私がなぜスペイン語を興味を持ち勉強し始めて、
DELEのB1に合格できたのかなったのかということを書いていきたいと思います。

では、また。
See you soon! :)

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