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本当の自分と父と

本当の自分を隠している私

コーチングのセッションで指摘された、肝心なことになると、するっとかわしてしまう私。自分の核心の部分をきれいに隠してるように感じると。

セッションでは、ポロっとこぼれたような軽い言葉だったけど、私にはすごくすごーく刺さりまして。どういうことだろう、何だろうと考え始めた。

父の影響

本当の自分を隠さないといけないような気持ちは、確かにずっともっている感覚だった。

それは、父親の影響が大きい。
田舎の実家に引っ越して、まわりからの目に気を付けなくてはならない。目立ってはいけない。
そういう雰囲気を感じ取りながら大きくなった。

普段は意識しないものの、ふとした時に父親がこうしなさい、こうした方がいい、と言うことから、まわりに目を付けられないよう気を付けている空気を感じた。

父は、この山奥で生まれ育ち、大学に入学するのを機に他県に出た。仕事の関係で何回か引っ越しし、祖父の体調が優れなくなったタイミングで戻ってきた。

当時、小学生になったばかりの私には、見えないことがたくさんあったに違いない。

父は、面白いものを見つけると、わーっと夢中になることがあった。そして、本来は派手なものが好き。

車がないと生活できない地域なので、車は必需品。引っ越し後、あるとき父が新しい車に乗ってきた。新しいと言っても、父の弟から譲ってもらったものだったらしいけど。それが赤い丸っこい車で、おしゃれな雰囲気を醸し出していた。

私が大きくなった頃には、燈籠にハマってしまって、いくつも石屋を回って気に入った燈籠を見つけては買ってくる。それを一緒に立てるぞーと、かり出されてたことを思い出す。大きいもので2メートルぐらいある燈籠を、力を合わせて立てた気がする。 

わーっと夢中になって何かをやったり、これ良い!と何かに飛びついて、後になってから人の目が気になってくるような、そんなところがあったのだと思う。

父が起こした変化

そんな父が、田舎の昔からある風習を変えてしまったことがある。あまりにも古くからある風習で、もうこの時代にはそぐわないのに続いていた。

それをきっかけに、地元の有力者に目を付けられてしまって、嫌な思いをし続けることになったらしい。

余計なことをしてしまった!と後悔を抱えたまま年を取っていった。

数年前に父は亡くなったのだけれど、後年になっても、要らぬ変化を起こしてしまったと嘆いていた。

でも、私の目から見ると、古くから残っている風習は、現代の生活をする人には、もう負担でしかなかったと思う。大きな声で言える人は少なかったかもしれないけど、心の中では変えてくれてありがとう!!!と思っている人はたくさんいたと思う。そのことを父にも言っていた。

逆に、そんな田舎のしがらみを、バサーっとなぎ倒して変化を起こせるのは、父しかいなかったのかもしれない、とすら思う。

コーチとのセッション後、この父のことが頭から離れなかった。

これは一体何を意味するのだろう?

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