見出し画像

師匠と仲間探し

仲間を探している

自分が生きてきた中で持っていた価値観や思い込みを見直して、要らないものを手放していった。その「人生の振り返り」がある程度落ち着いたとき、「師匠や仲間がいたらいいな」と、ふと思った。自分だけでなく、他の人を少し意識するようになったのだと思う。

noteに書くのも、一種の仲間探しだな。私の思ったまんまを書いていって、それを読もうと思う人の中に、同種の人間がいたらいいなと思う。そこに共感してもらえるんですか!という瞬間は楽しい。私もnoteを読ませてもらって、おおーーー!!と興奮する瞬間も楽しい。

ただ、自分と同種の人の数は少ないと思ってる。逆に、稀にいつもより多くの人の目に触れてしまうような記事になったときに、ん?これはどの部分に共感してるんだ?と疑問に思ったりする。

でも、少し多めの人に共感してもらえる部分がある、というのは、私の心が成長している証拠だと思っている。

心の師匠たち

私の心の師匠と呼びたい人たちが目の前に現れた。もとから顔見知りだった人もいる。その人たちの前では、自分の興味関心を素直に口にできる。そして、師匠たちからオススメされたことを積極的にやってみる、ということをしている。

なんというか、もしかしたら、「素のままの自分は面白いんじゃないか」と思わせてくれる人たちだと思う。私のことを面白がってくれるし、教えてくれることが最高に面白い。

なんか、お互いに顔を合わせて話すのを楽しみにしている感がある。でも、必要なときが来たら声がかかる感じ。

私も自分から会いにドアをノックするというよりは、師匠たちが私のもとへ下りてきてくれるのを待つ感じ。

実際、会ってこんなことをしゃべりたい!!と気分的に頑張り過ぎると、自分が体調崩したり、子どもが体調崩したりで、会えなくなったりする。不思議。

自然に任せるのが一番、らしい。

あいかわらず、私の身体は思ったように動いてくれないのだけど、あれもやろう、これもやりたい、と前に進むエネルギーをもらっている。

前向きにあきらめることに一区切りついたら、いよいよ外の世界に出始めるのかもしれない。もう少し充電して、その時に備える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?