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信念

いつもどちらかを選択しなければいけない時は絶対に選ぶ。
『どっちでもいい』なんて言葉は言わないようにしている。

”どっちでもいい”って私にはずるい言葉に聞こえる。
相手に選択権を委ねて、自分がどうしたいのかを言わないで逃げている感覚。


いつも決める役目を担ってしまっていると、正直、人と一緒にいるのが疲れる。

また決めるのは私なんだろうな~
私がこっちがいいって言ったらじゃあって乗ってくるんだろうな~


別に意見を分かれさせて争いたいわけでは決してない。
けれど、私はこっちがいい。俺は〇〇だからこっちの方がいいと思う。ってあなたの意見を言ってくれた方が私にとってはそんな考え方があるのか。と学びになるし、それが一緒にいて楽しいし、一緒にいたいと思わさせられる。


私の行きたいとこ、やりたいこと、全部に同調してていいの?
自分の意見はないの?


ふと一人になって我に返ると、自分の生き方を他人に押し付けすぎと感じることが多々ある。

私は同じことを何度も言われたくないし、相手にも言わせたくない。
だからメモをこまめにとって同じことは聞かないように心がけている。

でも私は完璧主義な傾向が強いから、たまーに人を厳しい目で見すぎてしまう。
『こうした方が効率的』
『こうすれば時短になる』
『もっと〇〇にできないのかな』
『なんでこんなところでミスをしてるのか』とか。(自分何様だよって)

でも、もしそれを言えば、相手からしてみたら
「じゃどうぞあなたが全部やってください」
「あの人はなりふり構わずケチつけるからめんどくさい」って思われることはわかっている。

だから言わない。
言わないからストレスがたまる。
非効率な仕事やってて意味あるのかってなる。

だから一人の仕事の方が向いている。
向いているというより自分的にその方が心地がいいと感じる。(ストレスフリーだから)

無駄のない計画的な段取りを組める自信がある。
(細かいところまで計画するのが好き。分刻みでもかかってこい!)
何としてでも相手に満足のいくパフォーマンスを提供して見せる。
(自分に厳しいし、自分の信念は曲げない、負けず嫌い)
起きてしまったことはすべて自分の責任
(絶対に問題なんて起こさせない。でももし問題が起きてしまったらそれ相応の責任を取る覚悟がある。責任感は人一倍持っている)

他人に対して厳しすぎるもよくないけど、自分の事を厳しくしてくれる人って時間がたつと恩師に変わると思う。
その時はすごく嫌な人って感じるけれど、自分が恥じない人になれるように教えてもらっているだけって思えるといいな。

”自分に厳しく、他人に優しく”


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