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旅暮らしのきっかけ

2016年24歳になる夏から2020年3月までの間、旅をしながら暮らしていた。
かっこよく書けば旅暮らし。現実的に言うと派遣社員だ。
勤務先はホテルや旅館のレストラン。所謂リゾートバイトとも表される。

東北の寒村で生まれ育ち、18で上京して大学に入った。
大学は専門的な大学だった。就職もその業界。隠す必要もないから書こう。テレビディレクターだ。

東京の制作会社に入ったものの配属先はとある地方都市。そこでNHKやローカル局、スカパーに記録映像と幅広い番組や作品に携わった。
そのほとんどが先輩のアシスタントなのだけれど、肩書きはディレクター。
アシスタントディレクター。よく言われるADというのは、キー局即ち日本テレビやTBSといった大きなテレビ局の番組制作で、先輩や番組のでアシスタントをする業務担う職種。
でも地方にその概念は無い。人手不足もあり、アシスタントをしつつ最初からディレクターとして扱われ、3か月もすれば情報番組内で放送される2分程のVTRを作れるように育成される。

俺もその例外ではなかった。
「若い頃の負荷は将来の幅」という上司の下で、何本も番組のアシスタントを掛け持ち、自分が担当のVTRや記録映像の撮影に奔走した。
残念ながらその負荷に耐えられず、ある夏の日に一瞬意識を失って倒れた。寝不足だった。鬱の手前と言われ1か月休職した。

戻るとそこに俺の居場所は無くなっていた。素人の社員が入り、引き継ぎが始まった。
明らかな先輩達の態度の豹変が可笑しいくらいにわかりやすい。
異動先はカメラやスタジオでのアシスタントだった。
異動の2週間前に退職届を出した。引き継ぎやら何やらで季節は冬。年末だった。
総務からあれこれ言われたけれど、やりたくない仕事はしたくなかった。
一緒にロケをしたカメラマンや他部署の先輩ディレクターには止められたけれど、心は決まっていた。

年を明けて無職になった俺は、就活をするも悉く落ちまくった。
金もなくなったため、単発の仕事をしたり、東京にいる恋人の家に転がり込んだり、消費者金融から借金もした。
夏になっても仕事に就けなかった。
住んでいるアパートの家賃の支払いも厳しくなった頃、絶望して死を決意した。

そんな時に部屋の片隅にある学生時代に溜めた映画のDVDを思い出した。
アメリカやイタリア、韓国にインド映画と様々な国の映画があったけれど、観たくなったのはとある日本映画。
それは「男はつらいよ」だった。
大学時代から好きな作品だったけれど、改めて観てみると笑いと涙が溢れた。
あちこちでたくさんの人に出会い世話を焼いたり焼かれたり。恋もするけれど、結局はその人のためにと身を引く。
男というものつらいもの顔で笑って腹で泣く。
そんなフレーズの主題歌がその映画、そして理想とする男の全てだと思った。

死ぬ前に旅に出よう。
それがその後何年も続く旅の始まりだった。

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