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「失敗すると安心する」という変な性格の人にのみ読んでほしい文


(1) 露悪の巨匠ゴヤ

この前久しぶりに国立西洋美術館に行った。

ひさしぶりに思いっきり一人で美術館を満喫。

そこにはゴヤの戦争を描いた版画の連作が展示されてた。

【国立西洋美術館サイト】https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024goya.html


ゴヤと言えばあのおどろおどろしい黒い絵シリーズ。

黒い絵シリーズもそうだが、戦争の版画を見ていて、

「この人は人間が嫌いだったんだろうなぁ」と改めて感じた。

だが「人間が嫌い」とわざわざ主張する人は、まだ人間を諦めきれてない。

そこがゴヤの悲しい愛らしさだ。そんな彼の捻れた人間愛についてここでは書きたい。

(2)破滅衝動

話は少し変わるが、私には破滅衝動とも言えるような変な癖がある。

ポジティブなものばかり見せられると、なんだかとても不安になる。

世界ってそんな風にできてないじゃん。と思ってしまう。

一方で、物事が失敗したり、うまく行かなかったりすると、

嬉しくはないが、心のどこかでなぜか安心するのだ。

「そうそう。世界ってこうやってできてるんだよね。」という変なしっくり感がある。

斜に構えているわけではない。

うまく言えないがようやくスタートラインにたったような感覚というか…

「ここから積み上げていこうや」という感覚で、フワフワした夢から覚めてようやく地に足がついたような感覚である。

だから物事のネガティブなところばかり見てしまう。

あら探しをするというよりは、等身大にものをとらえたいという衝動で、

逆説的だが、ネガティブなところを見つけて、それをどう乗り越えていこうか考えているときにポジティブな気持ちになる(笑)

乗り越えることに失敗して打ちのめされたとしても、それはそれで「これでまたひとつ人の悲しみに共感できる…」という別の安心感が生まれる。

書いてて思ったが、やはりそうとう変だな…。

だから陽気なJ-POPよりも、中島みゆきさんや竹原ピストルさんの歌詞にすごーく安心させられる。

(3) ゴヤという絵描き

ところでゴヤの話に戻るが、彼も同じような性格だったのではないだろうかと私は思うのだ。

遅咲きの天才であったが、人気を獲得してからというものの、

彼に絵を依頼するのは、好色の貴族婦人やら、プライベートな用途でのエロ絵を依頼してくるエリート軍人、暗愚な国王やこれまた好色なその妻など…。

醜い権力闘争が空気のように存在する宮廷という蛇の巣の中で、宮廷画家として働き、自身も悪徳をその血肉としていく。

愛人たちと何人も子供を作り、異端審問すら賄賂で生き延びる。

そんなゴヤもナポレオンのスペイン侵攻という巨大な暴力の影響でスペイン宮廷画家の地位を失うこととなる。

彼の人生には権力欲、暴力、性欲、出世欲などあらゆる人間の本性がこびりついており、彼の濁った目はもはや世界を明るく暖かい日溜まりと捉えることができなくなっていた。

聴覚の喪失により、ついに彼はその暗い闇の世界に閉じ込められる。

こうして黒い絵は産み出されていった。

そのほとんどは彼の家の食堂に飾られていたらしい。

真っ暗な部屋の中で不気味な絵に囲まれ、画家はどのような気持ちで毎日の食事を取っていたのだろう。

私も絵を描くのだが、絵にするという行為は、対象を分析して、自分の納得できる形に変換してから、自分の中に取り込む行為と言い換えることができるかもしれない。

そういう意味では、ある意味セラピーのような行為とも言える。

彼が、持てるあらゆる技術を凝らして描きあげた黒い絵の数々は、彼にとっては、人生で遭遇したあらゆる悪徳を自己の中にギリギリ受け入れられる様相に化粧して飲み込んでいくという行為だったのではないかと思えてならない。

彼は泣く代わりに絵を描いたのではないだろうか。

「そうそう。これが人間だよ。」と皮肉に歪んだ笑みを顔いっぱいに浮かべ、彼が飲み込んできた酸鼻な全ての悪意を思い出しながら、涙を黒い絵の具に変えて、キャンバスにねじ混んでいったのではないか。

そうとしか思えない。

人間を完全に諦めてしまった人にはあんな絵は描けないと、私には思えてしまうのだ。

あなたはどう思うだろうか。



黒は単純に悪のみを描き出すわけじゃない

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