英国リヴァプール ビートルズの足跡を追うバスツアー体験記
昨日テレビでニュースを見ていたら、見覚えのある家の前庭が映りました。「あっ、あそこは!」とすぐに思い出したのが、ポール・マッカートニーが少年~青年時代に住んでいた家。
そしてニュースの内容は、もうすぐポールが80歳の誕生日を迎えるのを記念して、この家で次代の新進ミュージシャンらが演奏できるチャンスがある!というものでした。
若きポールが友人ジョンと毎日のように練習や創作を重ねたこの家で、ビートルズ初期の曲「I Saw Her Standing There」や「Love Me Do」が生まれたそうです。
現在は景観・史跡保護のチャリティ団体ナショナルトラストが所有および運営しており、ポール80歳の誕生日を祝う一環として無名ミュージシャンたちに演奏の場を提供する!と発表したのです♪
私も何年か前にリヴァプールへ行きビートルズゆかりの場所を巡ったので、今回はその様子を振り返ってみましょう。
ガイド付きバスツアー「マジカルミステリー・ツアー」に参加!
私が利用したのは、添乗員ガイドつきのバスツアー。2時間ちょっとで効率よく、メンバーたちの生家やビートルズの唄に登場する街角を見て回るのです。
発車場所のリヴァプール埠頭から繁華街を通り抜け、バスは住宅街へ向かいました。
そこで最初に見たのは、リンゴ・スターの生家があるマドリン・ストリート。
1940年7月7日に、この通りの9番地で本名リチャード・スターキーが生まれたそうです。彼はビートルズの中で唯一、芸名を名乗ったメンバーという事も、私はこのツアーで初めて知りました。
その生家から歩いて1分ほどの近くに、幼い彼が母と姉とともに移り住んだアドミラル・グローヴ10番地があります。
リンゴが3歳の時に離婚した母親は、パブのカウンター仕事や清掃などの長時間労働をして2人の子供を育てた人。家も見るからに粗末な印象でした。
一方こちらはジョージ・ハリソンの生家、アーノルド・グローヴ12番地。
4人兄弟の末っ子として生まれた彼はバス運転手の父親、家事にパートにと忙しい母親、そして近所に住む祖母の愛情に恵まれ「質素ながらも幸福な子供時代を過ごした」と回想しています。
その正反対で「なかなか裕福だったんだなぁ」と明瞭なのがブライアン・エプスタインの生家。ビートルズのマネージャーとして彼らを成功に導いた立役者です。
ツアー後半で見たジョンやポールの子供時代に住んでた家や、前述のリンゴとジョージの家と見比べると、同じ市内でもポッシュな地域に建てられた瀟洒な家なのが分かります。
両親が経営していた家具屋の一角でレコード販売を始めた彼は、キャヴァーン・クラブで演奏していたビートルズの可能性にいち早く注目!彼らと共にイギリス全土、そして世界を制覇していったのです。
「ペニーレイン」に唄われた、彼らの街の風景
やがてバスはこんな変哲のない道路わきに停車して、私たち乗客は外へ出るようガイドさんに促されます。
なんと、ここがペニー・レインなんです!
超フツーの道に見えるけれど、これが名曲「ペニー・レイン」で唄われた、ポール&ジョンが毎日のように通った道。
同じく「ペニーレイン」の歌詞に出てくる床屋さんも、
雨が降ってもレインコート着なくて「すごく変だよね(Very Strange)」と描写された銀行員のいる銀行も、まだそれぞれ床屋さんと銀行として残っているんですよ!両方ともオーナーは交代したようですけど。
ところでこのツアーは、ガイド付きとはいえ英語ガイドさん。この日は60歳くらいかな?って感じの男性ガイドさんでした。でも見物したり写真を撮ったり忙しかったので、彼の話をメモする余裕はありませんでした。
なのに結構ちゃんと見た順に、ブレずに記述ができるのは・・・ひとえに、この小冊子のおかげ。笑
このバス・ツアー集合場所のチケット売り場には各国語のツアー小冊子が販売されていて、ドイツ語やフランス語などとともに日本語バージョンもあるのです。
バスで観光する順番に説明が載ってて分かりやすいし、これマジで重宝しますよ!一緒に写ってるマグネットも同じショップで購入しました。
永遠のストロベリーフィールズは、孤児院の跡地
さてツアー・バスはペニーレインの後、真っ赤な門の前で止まりました。門は残っているけれど、その向こうの敷地は荒れ果てて寂しげな雰囲気でした。
ここが、ジョン・レノンの心の故郷ともいえる「ストロベリー・フィールズ」です。
元々は富裕な商人の豪邸だった館が救世軍に譲渡され、女児の孤児院となったのは1936年。幼少期のジョンは近所の友人らとこの庭で何時間も遊んだそうで、まさに彼の子供時代の思い出がいっぱい詰まった場所。
だから孤児院の経営が傾き始めてからも、ジョンが基金を設立するなど多大な援助を続けたらしいのですが、遂に2004年に閉鎖されてしまいました。
私が訪問した2015年の時点では、こうして敷地のみ残っていました。しかし2019年にはミュージアムやカフェ、ショップなどを併設した施設として再オープン。
ジョンの心の中で永遠に特別な場所だったストロベリーフィールズ、次回リヴァプールに行く機会があったら入ってみたいですね!
両親が離婚した後、ジョンにとって育ての親代わりとなったミミ伯母さんの家も、そのストロベリー・フィールズからすぐ近くにあります。
後年ヨーコがこの家を買ってナショナル・トラストに寄贈。こうしてジョンの育った家もポールの家と同じく、半永久的に保存される事になったのです。
ポールの家と、キャヴァーンクラブ
ツアーバスが最後に停車したのは、ポール・マッカートニーが少年~青年時代に住んでいた家。
ポールが13歳から住んでいた家ですが、母親メアリーは新居に移り住んて1年も経たないうちに乳ガンで他界してしまったのです。以来ポールと弟、父親の3人で暮らしていました。
父ジムと3人の父子家庭だったポールが、同じく両親との縁が薄かったジョンと高校時代に出会ってからソウル・メイトになったのも、後年二人ともシッカリ者の姉さん女房的な人と一緒になったのも、そうした背景が大きく影響しているような気がします。
ポールの父親ジムも元は音楽をやっていたそうだし、メンバーの中で一番居心地のいい家だったのもあって、ここは彼らの練習場&たまり場となったんですね。
ポールの家に寄ってる間に私たちのバスが停車していた、あの黄色いバス停は・・・ポールがアート・カレッジに通うため毎日バスを待っていた停留所なんですって♪
最後はまたリバプール中心街に戻って、キャヴァーン・クラブの近くで全員降車して終了。2時間ほどの間にビートルズ主要ポイントを巡れて、かなり満足度の高いバス・ツアーでした!
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