あの秋の入り口の日が

多分、10年以上は前なんだろうけど
正確にはいつくらいのことなのか
もう今となっては思い出せない。

思い出せないけど、
あの日悲しくも美し過ぎた金星の輪は
私の中で永遠に輝き続けている。

その日は
なんか知らんけど飲みにいくことになっていた。
俯瞰的に見て考えたら行くべきじゃないのは明確だったけど、
当時の私は後先考えずに、
自分の肌感覚を無視して、もしくは
悪い予感を楽しむ悪癖のせいで、
「なんかしらんけど」が言動の根拠になっていることがよくあった。

良くない。
良くないことをする時っていうのは
良くない精神状態なのだ。
結果はあらかじめわかっていた通りで、
私はそこだけは予想して
迎えに来て欲しいと親友に依頼していた。

丑三つ時、誰もいない新幹線の駅のロータリーに親友の車が見えた時
これ以上に幸せなことは今までなかったかも
知らないと思った。

孤独と孤独を重ねても癒しにはならず
1人で海に行くとかそんなことを聞いて
最初に一緒に行ったのも海だったなぁと思いながら

静かに、ただ静かに
大好きな親友の車に乗って孤独を馳せてみて

今もしかしたら
私は孤独じゃないのかも
と思った。
初めて。



繁華街について、軽く一杯して、スパで泊まって朝になった。

空に浮かんだ金星の輪を
まだ夜の続きのような私たちと
朝からめまぐるしくスーツきて
移動してってしてるサラリーマンやOLたちとともに眺めた。


綺麗。

あれは確か秋の入り口で
私はまだ若くて不安でいっぱいだった。

その日親友とどこか遠くへ行こうと話して連れてってもらったはずだけど
どこに行ったのかももう思い出せない。

帰りしなに
山奥の細道を一緒に帰ってきたことだけ
それだけが記憶にある。

私の記憶はいつも乏しくて断片的だ。

丑三つ時の新幹線の駅、
金環日食、
帰りの山道、山道を抜けた道路。

それしか覚えてない。

でもあの秋の日を思い出すと
切なくて苦しくてほんのりあたたかい温度を持つ。


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