フェミニストは女性差別を創りだす

女性差別を根絶することはフェミニストの目標の一つだろう。しかし、最近フェミニストが女性差別を創りだしている。いや、正確に言うのであれば何かの不満を女性差別という文脈で力業で解決しようとしているといった方が良いかもしれない。

KuTooは女性差別ではない

職場で服装が規定されているのは果たして女性差別だろうか?因みに職場で服装が厳しく規定されている割合は男性の方が多いという現実がある。こういう話をすると、男性の問題は男性で解決しろというようなことをフェミニストに言われることがあるが、私は職場の服装規定を女性差別という文脈で扱うことを批判しているわけであり全く話が噛み合ってないと言わざるを得ない。

何が言いたいかというのであれば、これは男性女性の問題ではなく労働者の問題なのだ。同じように(男性の方が厳しく規定されているという意見もあるが)服装規定を経営側(又は経営側に抑圧をかけているであろう消費者)からされている状態をなぜ女性差別と男性差別で分ける必要があるのだろうか?受けている抑圧の構造は男女共に全く同じものである。

それでは、なぜフェミニストが女性差別という言葉を多用するかと言えば累積的抑圧経験(?)により、意見が通りやすいからだろうと私は考えている。女性差別だと言っておけば比較的簡単に意見が通るのだ。男性のことは男性が解決しろというが、男性がネクタイ、スーツ、革靴等に反対したところで世論は動かないだろう。つまり、フェミニストは全く別の構造の問題に対して女性差別という文脈を使うことにより、自分たち女性だけ抑圧から抜け出そうとするズルをしているということなのである。

萌え絵は女性差別ではない

萌え絵は性的対象として女性を表現しており、それは現実の性被害を助長する女性差別であるというのははっきりと言って無理があるだろう。まず萌え絵ははっきりと言って性犯罪を助長していない。オタクの性犯罪率は、非オタクの性犯罪率とくらべれば有意に低いだろうことは容易に想像できる。萌えポスターを剥がしたところで現実的に救われる人間が0なのは誰が考えても明らかであろう。

それではなぜフェミニストは騒ぐのかといえば、オタクを迫害したいからである。彼女らは気持ち悪いオタクが大きな顔をしていることが気に食わないだけなのだ。最早、これはオタクに対する差別的な加害行為と言わざるを得ない。女性差別という言葉はオタクを迫害する武器として、現実大いに振るわれている。

性的加害と女性差別は関係ない

性的加害はただの加害行為であり、女性差別は関係ない。性的加害の被害が女性の方が多く見られるのは、それだけ性的資産を多く持っているだけの話である。そのため性加害者に男性が多いことを理由に、男性に性加害の防止のタダ働きさせるように圧力をかけてくるのは非常に醜悪と言わざるを得ない。男性が女性を性加害から守るのは当たり前かのような言動を繰り返す女がいるが、そんなものを真に受ける必要はない。痴漢を捕まえようとしてもみ合いになり、全治数か月のケガを負った人間や、意識不明の重体になった人間もいる。しっかりと行動のリスクを認識して、糞みたいな女性が女性差別の文脈で圧力をかけてきても無視するべきだ。そこで女性が一人痴漢にあっていても私の人生になんら影響はないのだ。

フェミニストは女性差別を創り出す

このようにフェミニストは他人を思い通りにするために女性差別を創り出してきたのだ。女性差別なんて言葉を真に受ける必要はない。女性差別の存在をどんどん私たちは否定してくべきだ。

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