男性を『男らしさ』に閉じ込める二重の檻

『男らしさ』の檻から早々と脱落し、日本の底辺でもがいている弱者男性から見た『男らしさ』の檻について。

男性学やフェミニズムの文脈でたまに耳にする『男らしさ』からの解放、それは全く何の救いにもならないと私は思うのだ。

第一の檻『社会』

社会というべきか会社というべきか、とにかく働くということは『男らしさ』を求められる。日本の採用では、いわゆる『体育会系』が強く、精力的で力強い人間が求められる傾向にあると感じる。採用時の面接でも、入社後の仕事でも、『男らしい』人物であることをアピールしていかなければいけない。

その競争から脱落した私のような人間は現代の下級階級、非正規労働者として低賃金で何もできない日々を送ることになるのである。

第二の檻『恋愛』

女性が性的魅力を感じるのは『男らしい』人物である。最近話題になった少女漫画の男性像は『有能で積極的』な人物という統計からも読み取ることができる。そして、結婚の時に重視する要素の第一位は経済力である。これは第一の檻とも関連する話になってくる。

『男らしさ』を捨てるということは社会的、恋愛的に著しく不利になるということだと私は思う。

女性による『男らしさ』のアップデート

第二の檻には更なる恐怖が待っている。それは『男らしさ』のアップデートである。従来、育児等のケア要素は『男らしさ』ではないとされてきた。しかし、現代で『イクメン』のような要望が女性たちからあがると、『男らしさ』がアップデートされ育児は男らしさの一部となってしまうのである。つまり、女性からの要望がある限りそれに男性は応えなければならず『男らしさ』の檻はなくならないのではないだろうか。

『男らしさ』の檻から出るということ

つまり、男性は社会でもプライベートでも『男らしさ』から逃れることができない。『男らしさ』から逃れた先にあるのは非正規雇用や独身、私のような弱者男性である。そこにどんな救いがあるといのだろうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?